解説

【作品解説】岡本太郎「明日の神話」|悲劇を乗り越える人の強さを描いたアート

渋谷駅にあるマークシティ連絡通路を見上げると、巨大なパブリックアートが飾られています。よく見る作品でも、何が描かれているかまでは意外と知らないものです。

そこで今回は、渋谷マークシティ連絡通路(渋谷駅)に恒久展示されている岡本太郎(おかもとたろう)さんの大作《明日の神話》をご紹介します。

要点だけ知りたい人へ

まずは要点をピックアップ!

要点
  • 渋谷マークシティ内連絡通路に恒久設置されているのは、岡本太郎さんの大作《明日の神話》
  • 作品には、原子爆弾が炸裂する悲劇の瞬間と、それを誇らかに乗り越える人間の姿が描かれています。
  • 本記事では作品に描かれたモチーフに込められた由来・意味や、そもそも岡本太郎さんってどんな人?というところまで触れていきます。

それでは、要点の内容を詳しく見ていきましょう!

岡本太郎の大作《明日の神話》

《明日の神話(英: Myth of Tomorrow)》
岡本太郎、1968〜1969、アクリル系塗料、550 × 3,000cm、渋谷マークシティ内連絡通路に恒久設置

何が描かれている作品なの?

《明日の神話》は、原子爆弾が炸裂する悲劇の瞬間と、それを誇らかに乗り越える人間の姿が描かれた作品です。

人は残酷な惨劇さえも誇らかに乗り越えることができる、そしてその先にこそ『明日の神話』が生まれるのだ
「岡本太郎記念館:『明日の神話』再生へ」より引用

そんな激しく純粋な岡本太郎さんそのもののメッセージが、作品に込められています。

作品の中に描かれたモチーフをひとつずつ観ていきましょう。

1. 火をまとうガイコツはメキシコだから描けたモチーフ

中央に大きく描かれたガイコツ。骨の部分は実は立体的になっています。

作品の中で一番に目に入るのが、中央に大きく描かれた燃え上がるガイコツです。一見不吉な印象があるモチーフですが、岡本太郎さん曰く、「メキシコだからガイコツでいい」と言って描いたのだそうです。

この壁画は、もともとメキシコのホテルに飾るために描かれた作品です。メキシコには愉快なガイコツ祭りとも称される「死者の日」というお祭りがあり、ガイコツと親しくする文化があります。「死者の日」はピクサー映画「リメンバー・ミー(2017)」でも取り上げられて話題になりました。それを観ると、ガイコツと親しげにする街全体の活気ある様子が分かると思います。

そういった経緯から、ガイコツが大々的に描かれています。

炎を身にまとって愉快に舞うガイコツには、死と生が隣り合わせになっています。まるで原爆で燃え広がる悲劇のエネルギーに負けずに、人間の誇りを力強く表現しているようです

2. 黒い人間たち

中央で火をまといながら踊っているように見える人たち。

ガイコツを中心に画面全体に広がる鮮烈な炎の中には、黒焦げになった人間の姿が描かれています。ひどい状況に見える一方で、ガイコツのあらがいの意志に呼応するように舞い、明日を築くため生きようとする姿に見えてきます。

左下から右上へ、細身の人型をした煙が漂っているように描かれています。

一方で、力が及ばず燃え尽きてしまった人々は黒い煙のように描かれています。黒い煙の中に描かれている人間の姿はかなりの数で、そこだけを見ても原子爆弾の破壊力が現れているように感じます。

3. 海上から炸裂するきのこ雲

右下から始まり、左上に向けて大きなきのこ雲が描かれています。

猛烈な破壊力を持つ凶悪なきのこ雲は、右側の海上で炸裂しているのが見て取れます。

そして、炸裂した地点から左上へ流れるように、にょきにょき増殖してゆくきのこ雲が描かれています。きのこ雲にはひとつひとつ表情があって、大きなきのこ雲ほどわるい顔をしています。

きのこ雲は左上に流れていき、次第に小さくなっています。

数珠のように繋がる雲は海上から離れていくに連れて赤いトゲのような舌を出し始めています。

一番左側の端にいる小さなきのこ雲は生まれたばかりの赤ちゃんだからか、何が起きたのか分からないまま、目を丸くして驚いたように悲劇の瞬間を見つめています。

4. 外へ逃げ出そうとする罪なき生き物たち

壁画の右端に逃げるように集まる生き物たち。

生き物たちも画面の外に逃げ出そうと、健気に力をふりしぼっています。

その後ろには赤い炎が不敵な笑みを浮かべながら襲い掛かっています。

5. マグロを引っ張る漁船“第五福竜丸”

左下にはマグロが描かれ、その口からは糸が伸び、漁船(第五福竜丸)が呑気に漁を続けている様子が描かれています。

生き物たちが逃げ出す脇には、何も知らずにマグロを引っ張っている漁船の姿があります。この船は第五福竜丸をモデルにしています。

第五福竜丸とは、1954年にアメリカがおこなった水爆実験により被ばくした、遠洋マグロ延縄漁船のことです。水爆実験で砕けたサンゴがきのこ雲に吸い上げられ、放射能を帯びた「死の灰」となって漁船まで届いたことで発生してしまいました。危険水域外に漁船はいましたが、想定以上の威力であったために「死の灰」が届いたとされています。

作品に描かれている漁船も同様に「死の灰」に覆われ被曝する様子が描かれています。

6. 悲劇を乗り越えた人間たち

ひじをついて寝転がったり、腕を大きく広げ自由気ままに過ごす人間たち。

作品の左側には、悲劇を乗り越えた人間たちが描かれています。人間の輪郭は黒でくっきりと描かれ、この空間だけ背景が鮮やかな色で描かれていて、悲劇のワンシーンと対照的に描かれています。

メキシコから渋谷へ恒久設置された経緯

作品紹介の中でも少し触れましたが、《明日の神話》は最初から渋谷に飾る予定で描かれた作品ではありません。では、どのような経緯で渋谷に飾ることになったのでしょう?

メキシコのホテルロビーに設置予定だった

《明日の神話》は元々、ホテルのオーナーで芸術家のパトロンでもある実業家の依頼で、メキシコにある建設中のホテルのロビーに飾るために、1969年に現地で制作された作品でした。しかし、完成後に依頼者の経営状況が悪化し、ホテルは未完成のまま作品は放置され、行方不明になっていました。

そこから34年後の2003年秋、メキシコシティ郊外の吹き抜けの資材置き場で作品が奇跡的に発見されたのでした。

《明日の神話》再生プロジェクトにより日本へ移送

「どこかのお金持ちに金を出してもらって持ち帰るのではなく、みんなで持って帰りたい」という、元秘書で養女の岡本敏子(おかもと としこ)さんの想いもあり、「《明日の神話》再生プロジェクト」が立ち上がります。

再生を願う多くの人々のサポートにより、2005年には作品を日本へ移送し、修復作業を経て2006年に一般公開という、驚くべきスピードで復活したのでした。

渋谷マークシティ内連絡通路への恒久設置

メキシコから持ち帰った後に問題となるのが、作品の設置場所です。

設置場所には、被爆地である広島市、《太陽の塔》がある大阪府吹田市、そして岡本太郎さんのアトリエが近くにある東京都渋谷区が候補地として上がっていました。

招致先各地を訪問していた岡本太郎記念館の館長は渋谷マークシティ連絡通路も視察しました。そこで、「(渋谷マークシティ連絡通路は)多くの人が行き交い、大きな力を持っている場所で、パブリックアートとして鑑賞目的以外の人がたまたま作品に出会うのに適した場所」という感想を持ったそうです。

こうして2008年3月、渋谷マークシティ内連絡通路への恒久設置が決定しました。


「明日の神話保全継承機構:作品紹介 設置動画」より引用

2008年秋の公開にむけて設置工事を行う様子は、明日の神話保全継承機構の作品紹介の中で、動画として記録が残っています。動画を見ると、さまざまな配慮がなされた設置工事であることが伺えます。

こうした丁寧な工事作業を経て、2008年11月17日より一般公開されました。

それ以来、公開記念日近くになると終電後の4日間で毎年、《明日の神話》の表面に付着したホコリを取り除く「すす払い」が行われていたりもします。

未来を考えるために参照されたことも(Chim↑Pomのゲリラ作品)

ここまで紹介してきた《明日の神話》ですが、他のアーティストの手によって時代の新たな表現の場として参照されたことがあります。

《LEVEL 7 feat.『明日の神話』》
2011、Chim↑Pom、塩化ビニール版,紙,アクリル絵具,ほか、所蔵:岡本太郎記念館(東京)

東日本大震災が発生し世の中で情報が乱れ、混乱を招いていた中、2011年4月30日深夜にアーティスト・コレクティブ「Chim↑Pom(チンポム)」により《明日の神話》の余白部分に絵画がゲリラ設置され話題となりました。

付け足された絵には、時代が更新したことを付け加えるように、原子炉の建屋からドクロ型の黒煙が上がる様子が描かれています。

当然のように大衆からの非難があったものの、岡本太郎記念館の館長はコメントにもあるように、寛容に受け止めていました。

「明らかにアートの文脈で行われた行為です。(中略)日本の置かれた状況や不安感、そういうものをモチーフにして、表現をしたいと思うのは当然。それをぶつける舞台として太郎が選ばれた。未来を考えるときに参照されるアーティストだということでしょう」
ー産経ニュース:2011年5月18日

新たな時代を映すために参照されるほど、《明日の神話》の認知度や作品としての位置付けがあるとされたことが分かります。

岡本太郎とは?

最後に、《明日の神話》を制作した岡本太郎さんについて簡単にご紹介します。

岡本太郎(おかもと たろう)さんは、1911年から1996年にかけて活躍した、神奈川県出身の芸術家です。

1929年に渡仏し、フランスのパリで抽象芸術やシュルレアリスム運動といった前衛芸術運動の最先端をリアルタイムで体験しました。

その後、パリ大学でマルセル・モースさんに民族学を学び、一時筆を置いて研究に没頭します。このときの体験が「芸術は商品ではない」、「芸術は無償、無条件であるべきもの」、「芸術とは全人間的に生きること」という芸術観を醸成したといわれています。

芸術から哲学、人間学など、当時の新たな潮流の最前線の知見を得た後の1940年、パリ侵略によって戦時体制下の日本に帰国を余儀なくされ、徴兵されながらも戦後の日本で前衛芸術運動を展開しました。

そして、1970年には大阪万博で《太陽の塔》(1968〜1970、大阪)を制作し、国民的存在になりました。

今回ご紹介した《明日の神話》は、同時期に制作された《太陽の塔》と対をなす作品といわれています。

”心でつくる”ことに一貫して取り組んでいた

戦前、戦後を経験している岡本太郎さんの行動は一貫していたそうです。例えるならば金太郎飴みたいに、どこを切っても岡本太郎さんだといわれるほど。

その一貫性は、多数出版されている岡本太郎さんの書籍からも読み取れますが、私が印象的だったのは岡本敏子さんが《明日の神話》岡本敏子さん音声解説の中で語っていた言葉です。

当時の民衆論理としてあった、仕事は美学よりも飯を食うことの方が大事だという価値観の中で、岡本太郎さんは、「飯を食うことを気にせず、死なないでなんとかやり通せばみんなが後ろからついてきて、似た価値観の人間が他にも日本中に現れてくるだろう」と思っていたそうです。

岡本敏子さん曰く、ちょっと甘いところがあるとは思っていたそうで、実際に似た価値観の人間が現れることはなかったそうですが、岡本太郎さんは何事にもめげずに自分一人だけでもやり通していました。

戦後復興を目指していた当時、”心でつくる”ことを一貫して取り組めるのはかなりエネルギッシュなことだなと感じます。

まとめ

渋谷駅に何気なく置かれているアート作品《明日の神話》についてご紹介しました。

残酷なことや悲劇の中に光明が描かれている作品には、絵でないと伝わらない、言葉では伝わらないメッセージが現れています。

渋谷に行った際には、よく分からない絵から「悲劇の瞬間を誇らかに乗り越える人間の姿が描かれた絵」として、作品を鑑賞してみてください!

作品情報

作品タイトル明日の神話(英: Myth of Tomorrow)
1968〜1969、アクリル系塗料、550 × 3,000cm
展示場所渋谷マークシティ2階
東京都渋谷区道玄坂1丁目12−1 2階連絡通路 渋谷マークシティ
展示期間常設
開廊時間24時間営業
関連サイト明日の神話保全継承機構:https://www.asunoshinwa.or.jp/
岡本太郎記念館|明日の神話:https://taro-okamoto.or.jp/asunoshinwa/
ほぼ日刊イトイ新聞|明日の神話再生プロジェクトオフィシャルホームページ:https://www.1101.com/asunoshinwa/
観覧料無料
作家情報岡本太郎記念館|岡本太郎とは?:https://taro-okamoto.or.jp/taro-okamoto
Twitter(岡本太郎記念館):@taro_kinenkan

関連書籍

岡本太郎さんの本はたくさん出版されていますが、私的に印象に残っているのはこの本です。自分を突き通して”心でつくる”を貫いた岡本太郎さんの姿勢がよくわかる名書です。

ABOUT ME
よしてる
東京でアート巡りををしながら「アートの割り切れない楽しさ」を探究している理系男子です。会社員をしながら、週末アートウォッチをしています。 2021年から無理のない範囲でアート作品の購入も始めました。 好きな動物はうずら。

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