菅野歩美・松田ハル二人展「アンビルトな生活」|ifの世界線における生活から理想像を問い直す展示をレポート
目に見えるものは、目に見えないものの積み重ねでできている。
では、目に見えないものは本当に意味のないものだったのか。
ifの世界線における生活から理想像を問い直すような展示が、HIRO OKAMOTOにて開催された、菅野歩美さん・松田ハルさんによる二人展「アンビルトな生活」です。
新国立競技場のコンペ案、渋谷ハロウィン、ワシントンハイツなど、ギャラリー周辺の地域で実際にあったものをデジタルツールを操りアートに昇華した作品、暮らしの理想像を再考し、結果的に生活を改善するかもしれません。
そんなアート作品が展示された二人展の模様を、ワークロア(民俗)や複製技術など、菅野歩美さん、松田ハルさんがテーマにしている観点にも焦点を当ててレポートします。
展示作家について
菅野歩美とは
菅野歩美(かんの あゆみ)さんは1994年生まれ、東京都出身の作家です。
2017年に東京藝術大学美術学部絵画科油画を卒業し、現在は東京藝術大学大学院博士後期課程に在籍しています。
主な展覧会に
- 個展「明日のハロウィン都市 / Halloween Cities of To-Morrow」(2023、SACS、東京)
- 個展「中空のページェント」(2023、YAU Studio招聘プログラム、東京)
- グループ展「YAUTEN’23」(2023、YAU Studio、東京)
があります。
映像に記録されたフォークロアがもたらすものを提示する作品
菅野歩美さんは、フォークロアで紡がれてきたものの背後にある歴史や個人の感情を想像することで生まれる「オルタナティヴ・フォークロア」を、映像インスタレーションで表現しています。
フォークロアとは民俗のことで、具体的には「権威や公式的な制度から距離があるもの、合理性では割り切れない人々の“俗”の部分」に関係する事柄のこと。
「デジタル技術を使ったメディアアートの中に記録されたフォークロアは現在、そして未来に何をもたらすか」に着目した作品が特徴的です。
松田ハルとは
松田ハル(まつだ はる)さんは1998年生まれ、岩手県出身の作家です。
2021年に筑波大学芸術専門学群美術専攻版画領域を卒業し、2023年に京都芸術大学大学院グローバル・ゼミを修了されています。
主な展覧会に
- 個展「不自由のオーバーワールド」(2023、COHJU CONTEMPORARY、京都)
- グループ展「マイマップでラインとシェイプを描画する」(2023、タカイシイギャラリー、群馬)
- グループ展「DOOMs」(2023、SOM GALLERY、東京)
があります。
版画やVRなどの複製技術で人だからできるものを追求する作品
松田ハルさんは、版画やVRといった複製技術を用いて、仮想と現実の差異や二項対立の融解を試みる作品を平面・立体・映像・インスタレーションなど形態を問わずに発表しています。
作品の中には美術の歴史的な側面からの引用が見られることもあり、テクノロジーと美術史の要素を織り交ぜた、テクノロジーとバランスさせる様子も見受けられます。
また、作品制作に手作業の存在を残しているのも特徴的で、データのように気軽な編集ができなくなる作品の特性が、生物としてのヒトが持つ普遍的な要素にも目を向けさせます。
菅野歩美・松田ハル「アンビルトな生活」展示をご紹介
作品制作にデジタルツールを用いた作品を制作する共通点を持つ菅野歩美さん・松田ハルさん。
「何らかの事情で建てられることのなかった建築」という意味のアンビルトという言葉の通り、二人展では「ifの世界線における生活」をテーマに構成されています。
実現しなかったifの世界線をデジタルツールを使い、どう表したのかを観ていきましょう!
- 今回参考にした展覧会のステートメントはこちら
会場となるギャラリースペースは、生活も可能なように設計されている。今回の展示でテーマとなるのは、もし原宿が文化の発展の場所ではなかったら、もしザハ・ハディドの国立競技場が完成していたら、といったifの世界線における「生活」である。
より良い生活のために、テクノロジーは私たちの生活を改善してきた。そうして刷り込まれてきた暮らしの理想像が私たちの日常生活の、街の、根底に存在している。反対に、どれだけテクノロジーが発達しても一向に改善されない生活を取り巻く困難は、仕方の無いものなんだと刷り込まれてもいる。
それらの日常が別の形で、とっくに乗り越えられていたとしたら、私たちの生活はどんな色やかたちをしているのだろうか──もしもそんな無意味な可能性に思いを馳せることで私たちの生活が変えられるとしたら、メッキをかけられた”アートのある暮らし”という言葉も、いつか私たちのもとに取り戻せるのかもしれない。
菅野歩美:現代のフォークロアから再考する都市の可能性
まずは1階スペースに展示している、菅野歩美さんの作品を中心に観ていきましょう。
ザハ・ハディドのアンビルトな建築から、変化の可能性を考える
今回の展示作品の舞台として取り上げられている街は、HIRO OKAMOTOからも程近い渋谷や原宿、新宿などです。
入口付近に配置された、菅野歩美さんによる作品《アンビルトの残光》は「もしザハ・ハディドの国立競技場が完成していたら」というifの世界線を描いています。
ザハ・ハディドさん(1950 – 2016)は現代建築における脱構築主義を代表する、イラク出身の建築家です。日本では東京2020オリンピックに向けた新国立競技場のコンペ案が採択されながらも、白紙に戻されたことで知る人が多いのではと思います。
斬新な設計案に対して技術面や費用面で実現が難しく実作完成まで至らない時期があったことから、ザハ・ハディドさんには「アンビルトの女王」という異名がついていました。
それでも、使い勝手が良く機能的で合理的な建築に抗い、ダイナミックな流線型で構成された建物は、技術発達していくにつれて実現していき、「曲線の女王」と呼ばれるようになります。
菅野歩美さんが描くザハ・ハディドさんの新国立競技場は森林で覆われていて、右下にある聖徳記念絵画館が今以上に森の中に沈んでいます。
もし実現していたら街の性格が変わり、人々の生活にも影響を及ぼしていたかもしれないことを教えてくれます。
未来の渋谷ハロウィンに集まる“排除されたもの”から都市を見直す
菅野歩美さんが学生対象アートコンペCAF賞の最優秀賞を授賞した作品でもある《明日のハロウィン都市》。
明日の田園都市(エベネザー・ハワード著)から引用したというタイトル《明日のハロウィン都市》には、都市の秩序を優先し排除されたものに焦点が当てられています。
渋沢栄一さんをきっかけに東京で広がった日本型の田園都市計画はヨーロッパで実践された自然と都市の共生とは異なり、田園地帯を潰し都市化するなど排除されるものがあったといいます。
渋谷ハロウィンの無秩序な騒動は現実では排除される対象ですが、《明日のハロウィン都市》では「都市開発の中で排除してきたものが受け入れられる土壌となっていたら」の世界線が映し出されています。
映像作品が映し出す舞台は、今から長い時間が流れ遡った「古代のような未来」の渋谷。
渋谷109やセンター街などの面影はありつつも「海面が上昇し、隕石もいくつか落ち人が減り自然がもどり、やっといい感じになった渋谷」となっていて、これまで排除されていたものが集う場所になっています。
- 水浸しになったスクランブル交差点(昔あった渋谷の川がたくさん流れる農村集落へ遡っているよう)
- 横転したトラックを模した造形物を燃やすならわし(2018年の渋谷ハロウィンであった仮装した若者らによる軽トラ横倒し事件が継承されている)
- ベニスから来たクラゲ(2020年のベニスで起きた、コロナ禍による都市封鎖で水の透明度が増したことが渋谷でも起きている)
- 街に戻ってきたゴーストたち(おそらく無秩序とされ街から排除された人たち、制御できない若者のように、ものを避けるように進んでいるはずが、次第にある箇所に集まるエラーが発生している)
などの要素が映像上に見られ、カオスながら生命感に溢れた場となっていています。
都市から排除されるものが祭りの始まりとなる可能性を提示
居住を想定していない街の異様な賑わいは、ある種の祭りのようにも見えてきます。
若者による狂気じみた盛り上がりをみせる渋谷ハロウィンは「伝統的な祭りの始まり」という見方があるそうです。
祭りは乱痴気騒ぎを伴うこともありますが、渋谷ハロウィンとは異なり、祭りの騒ぎは秩序を維持しながら場を盛り上げる作用があります。
現代民俗学入門を参照してみると、その理由に「祭りの秩序は長老、中年、若者、子供といった年齢階梯制によって保たれる」ことが挙げられています。
作品の中では自然が秩序を生む側となっていて、人にとっての無秩序が許容される土壌が整い、結果として渋谷ハロウィンが秩序を維持しながら民俗的に残されているようです。
渋谷ハロウィンのように排除されたものが語り継がれた先でどう残るのかを映像作品の中で実験的に示しているようでした。
民俗的に語り継がれた先で伝統として残るものは、今の都市空間から排除しているものにあるのかもしれません。
平面・立体作品が呼応する「オルタナティヴ・フォークロア」
映像がどのような要素によって組み上げられているかは《明日のハロウィン都市のためのドローイング》からも深めることができます。
例えば、スクランブル交差点の周辺が森で覆われていることが分かり、渋谷がお祭りの会場として意図的に残されていることが読み取れます。
そして、映像作品の対面には《明日のハロウィン都市の地図》と《スーベニアの習作》、そして松田ハルさんの作品が並びます。
映像作品の全体像を2次元で俯瞰するように描かれた《明日のハロウィン都市の地図》。
「世界で最も有名な交差点」とも評される渋谷スクランブル交差点を示しているであろう横断歩道はコンパクトな印象で、渋谷の名所が継承されているように見えます。
立体作品の《定礎》と《スーベニアの習作》いずれも隕石のような見た目で、渋谷に自然がもどるきっかけを生んだものを祭りのシンボルにしてしていることも伺えます。
現在進行形で起きている渋谷ハロウィンを過去のものとして捉え未来を解くアプローチは、過去から未来をいかに作っていくかを考えるきっかけとなり、その点がまさに「オルタナティブ・フォークロア」だと感じました。
松田ハル:技術発達で広がる複製から再考するフィジカルの可能性
続いて、松田ハルさんの作品を観ていきましょう。
人の欲求が生み出した模倣の世界
松田ハルさんの作品はVR上で立体的なイメージを構築した後、手作業による版画の工程を経て平面作品となっています。
線の集合体にも見える平面作品《Mimicking Flowers》もそのひとつで、「模倣の花々」という意味の通り、花と聞いてイメージする形とは異なる見た目をしています。
花の造形よりも色に重きを置いて表現しているからかもしれません。
仮想現実であれば造形の歪さに関わらず実在できてしまう、実在しないであろう花々。
現実世界では「実在しないであろう」と感じる花々は、人間が「今、ここ」にはないものを追い求めてきた結果、テクノロジーが生み出した可能性と受け取ることもできます。
現状のVRは人の持つ知覚のうち、視覚と聴覚のみ実用レベルで共有が可能ですが、人間の欲望がテクノロジーを発展させ、現実世界から仮想現実へ生活が置き換わっていくとしたら、ものに対する知覚が変化するかもしれません。
その意味で《Mimicking Flowers》は、技術革新によっては本物と同等の認知を獲得する模倣の可能性を示していそうです。
仮想的に作られた閉じた世界と、今ここの世界線に乗る版画
《The man sitting on a sofa》に写るものは縮尺が異なるように見え、拡大しているものほど、4色印刷の斑点模様が浮かび上がっています。
それぞれを同じ縮尺に戻したら、例えばソファが実際よりも縮小され、人が座れなくなるかもしれません。
そうして現実の生活との差異を見つけていくと、VRは世界が広がる体験ができる一方で、仮想的に作られた閉じた世界での話という捉え方もできます。
《Morning》も、日常で見かけそうなランニング風景が描かれています。
幾何学な図形の組み合わせでモチーフが描かれているためか、作られた現実感があります。
そんな仮想的に作られた閉じた世界も、松田ハルさんの手で版画として複製不可能な作品となることで、唯一無二な存在として今ここの世界線に乗ることができる。
手作業によるフィジカルな要素が加わることで作品となり、複製可能な仮想現実から現出させることで現実世界に影響を及ぼすものが生まれる面白みがありました。
仮想と現実の時間感覚の違い
地下スペースには松田ハルさんによる映像作品と机が用いられた展示がありました。
映像作品《Candle》では、2本のロウソクを眺めるデジタル上の人が映し出されています。
映像には
- 「どっちが速く燃える?」
- 「科学的な話ではないらしいよ」
という意味ありげなナレーションが入っています。
科学的な意味ではないとしたら、ロウソクは「人間の寿命」や「時間の概念」を連想させます。
そう考えると、VR上にいる人が寿命のある人間を見つめているようでもあり、仮想と現実の時間感覚の違いが示されているようです。
テクノロジーによる複製はフィジカルな記憶まで伝えられるか
「時間の概念」でいうと、机と椅子からなる作品《そこにはプールがあった。》にも繋がりが生まれています。
卓上にはチラシやポスターの印刷でよく用いられる4色印刷(黒、青、紅、黄)の色に分解された、1枚の写真が刷られています。
この写真は「ワシントンハイツ」内のアメリカンスクールにあった、水泳用のプールが写されています。
ワシントンハイツは現在の代々木公園、国立代々木競技場、NHK放送センターなどがある場所にかつて存在した「米軍将校とその家族の住宅地」で、戦後の1946年から1964年まで存在しました。
戦後の貧しく疲弊した日本の中にあった豊かなワシントンハイツは、当時の日本にとって憧れの生活が広がる場所であり、その後の日本に大きな影響を与えたといいます。
現在は代々木公園のオリンピック記念宿舎を除いて原宿の街に戦後の名残りは見られません。
データのように簡単に消去できない歴史が、作品にも刻まれているようです。
また、4色印刷の分解・複製には「豊さがカラフルに見えた史実」「語り継ぐ人・モノがなければ時間経過とともに記憶が断片になり、風化すること」が表現されているように感じます。
その意味で、複製技術はモノ自体は簡単に広められても、フィジカルに受け継いだ記憶は時間とともに薄れてしまいやすいことが語られているようでした。
より良い生活に必要なものと先人の生き様
映像作品と机・椅子の作品の隣には、100号の大型作品が存在感を放っています。
《A Better Life》は作品との距離感の違いによって見えるものが変化します。
赤いソファや観葉植物、猫、机、人、そして絵画が飾られている一室が描かれているように見えつつ、遠目から観ると部屋を覆うように人のような何かが線で描かれていています。
机の上には描く要素を絞り冴える色彩で爽快に踊る裸婦を描いた、アンリ・マティスさんの絵画《ダンス》を思わせる立体があるのが印象的。
20世紀初頭にフォーヴィズムの中心人物として活躍したマティスさんは生前「人々の疲れを癒す良い肘掛け椅子のような芸術を目指したい」と語ったそうです。
より良い生活には疲れを癒す幸福感、健康や安全、人間関係の充実など、さまざまな側面から生活の質の向上が必要です。
松田ハルさんの《A Better Life》ではソファや猫などと同じくらい作品が身近に飾られ、アートが生活の質を上げる場所にあるようにとの願いが込められているように映ります。
作中にある《The man sitting on a sofa》と《Morning》が、生活も可能なように設計されたギャラリーで展示していることにも意味を感じます。
テクノロジー発達によりあらゆるものが複製対象にできるようになった世の中で、マティスさんのように美術史で語り継がれる先人の生き様に触れると、複製できないものに目を向けることが生活の質を上げるためには大切な要素であることを教えてくれます。
菅野歩美・松田ハルによる合作も
今回の作品の中には、菅野歩美さんと松田ハルさんによる合作も展示していました。
親和性の高いふたりの制作をひとつの作品として観れるのも、二人展ならではですね。
まとめ:目に見えないものの価値を問い直す
デジタルツールを操り作品を制作をする菅野歩美さん、松田ハルさんの二人展を観て感じたのは、目に見えないもの、特に排除・乖離されていくものにスポットを当て、価値を問い直すことでした。
菅野歩美さん作品内に登場したアンビルトな建築や渋谷ハロウィンなど、排除され次第に街から姿を消すものをメディア空間内で取り上げ、作品として昇華し、フォークロアとして残していく動きが面白く、デジタルを用いるからこそできる表現だと感じました。
松田ハルさんの作品は、複製技術が発達するにつれてフィジカルとの乖離が起きていくことを感じさせ、今の時代だからこそデジタルツールのみでは生み出せない、人手が持つ可能性に目を向けることができました。
自分たち自身の生活に根差したものを探求していくように、排除されたり、身体から乖離していくものこそ「そこに可能性は潜んでいなかったのか」と再考して見るのも、面白いかもしれない。
そんなことに気づかせてくれる展示でした。
菅野歩美・松田ハル「アンビルトな生活」展覧会情報
展覧会名 | アンビルトな生活 |
会期 | 2024年2月24日(土) – 3月10日(日) |
開廊時間 | 11:00 – 19:00 |
定休日 | なし |
サイト | https://www.hirookamoto.jp/events/unbuiltlife |
観覧料 | 無料 |
作家情報 | 菅野歩美さん|Instagram:@ayumikanno 松田ハルさん|Instagram:@hal_matsuda |
会場 | HIRO OKAMOTO(Instagram:@hiro_okamoto_gallery) 東京都渋谷区神宮前3丁目32−2 K’s Apartment 103 |
※入口は施錠されているので、正面玄関インターホンで「103」を呼び出すとギャラリーの方が開けてくれます。
参考書籍
参考リンク
- SHIBUYA CITY RECORD|多様性の街・渋谷の秘密とは?『渋谷学』の著者・石井研士さんが読み解く90年の歴史
- 國學院大學メディア|渋谷の開発が終わることはない!?戦前、戦後、いつの時代も渋谷はメタモルフォーゼし続ける
- 公益財団法人現代芸術振興財団|「CAF賞2023入選作品展覧会」
- boundbaw|混沌の街・渋谷の伝承と未来ー菅野歩美個展が渋谷SACSで開催「明日のハロウィン都市」展
- 美術手帖|本当にやりたいことを表現するために。ミレニアム世代とZ世代が感じたアートとの健やかな向き合い方
- NEWSつくば|コロナ禍、美術で現実と仮想を問う 筑波大学4年松田ハルさん都内で個展