【書籍紹介】教養としてのお金とアート(山本豊津・田中靖浩)|アートの価値と価格を知る
アートの価値が価格に表れる瞬間、何が起きているのでしょうか。
そんな「アートとお金」の関係について紹介した山本豊津さんと田中靖浩さんによる共著「 教養としてのお金とアート」をご紹介します。
美術・アートには複雑な構造がある
本書を読むと、美術・アートにはいくつかの構造があることがわかります。
それは数値的に定義できるものが少なく、教養としても学ぶ内容ではないため、理解が難しいのではいかと感じます。
今回は対談の中で登場する構造の中から3つピックアップしてみました。
作品編:コードとモードで絵画の価値を知る
アート、特に絵画について、その価値はどのように評価するのでしょうか。
評価の指標はいくつかありますが、山本さんは絵画をコードとモードで見ているそうです。
- コード:絵画の歴史的文脈における表現の方法のこと、作家の教養の深さが表れます
- モード:時代の流行のことで、作家のセンスが表れます
一見掴みどころのないアートですが、コードとモードというものさしがあると作品が持つ価値を知る入口にできそうです。
教養編:アートが日本に浸透しなかった理由
日本にアートが浸透しなかった理由に、文明と文化の違いを考えていないことをあげていたのも面白かったです。
文明とはグローバル化したもので「共通性・普遍性のあるもの」を、文化とはローカルなもので「特殊性・地域性のあるもの」を指します。
近代では資本主義という文明の上で成り立っており、2020年度のアート市場規模を見てもアメリカ(44.0%)、イギリス(20.0%)、中国(18.0%)の順で扱われています。
その構造の中で日本のアート文化がしっかりと繋がっていれば、世界共通のものであるという公共性に繋がっていくのだろうと感じました。
しかし、学校の美術教育では教養として文明と文化の構造は教えられません。
文明の上に乗っかっている文化でないと公共性の意味はなくなり、「個人の好き嫌い」で終わってしまいます。
これが、アートが日本に浸透しなかった理由なのかもしれません。
言葉編:美術用語に横文字が多い理由
美術用語は「インスタレーション」や「オブジェ」など、英語に由来する横文字のまま使われているものもあります。
その理由は、日本語訳では表せないニュアンスを含むものが多いからです。
例えば、「ペインティング」と「ピクチャー」は一緒に捉えられやすい言葉のひとつです。
日本では言葉の定義が曖昧で、どちらも「絵画」と一括りにされがちですが、美術用語として解釈すると
- ペインティング:描く技法のこと
- ピクチャー :ひとつの四角いイメージのこと
となり、技法と概念でしっかりと区別されています。
また、コンテクストという言葉も日本語では「文脈」と訳されますが、美術用語として見た場合、
- 作られたものを結果として説明的に見る「文脈」という意味
- 作品制作の中で積極的に作っていく「物語」という意味
が含まれています。
言葉の意味に解釈の不一致が起きているのも、日本に公共性がないことを表している一例なのかなと感じます。
アートの価値が価格に変わる瞬間、何が起きているのか
いくら作品を制作していても、作品の価値が価格に変わらないと社会的な意味を持つものにはなりません。
では、どんな経緯で作品の価値が価格に反映されていくのでしょうか。
例えば、村上隆さんは価格から価値を逆算するマーケティング的手法をアートに取り入れています。
誰でも知っているアニメや漫画といった素材を自分の作品のコンテクストに引用することで、多くの人に理解されやすい表現となります。
すでにあるものをアートに昇華させることで、作品の価格も上がりました。
つまり、すでにあるものをアートの中に落とし込むことを考えたことで価値が生まれ、それが価格にも反映されていきました。
他にも、美術史の文脈から学び、そこから誰もやったことがないチャレンジをして今までにない世界や価値観を表現する方法もあります。
そこには価値の転換というものがあります。
例えば、千利休が中国一辺倒だった価値観を和にシフトしたり、ルーチョ・フォンタナがキャンバスをカットした作品を出したり、身近なところではスティーブ・ジョブズが禅や枯山水を通して引き算の文化的発想を取り入れ、iPhoneを作ったりしました。
アーティストの思想や、美術史が勘案された作品には、人の生き方をプラスに変えたり、歴史的な功績を残したり、そんな価値の転換を生むとき、社会的な価格となって現れるのでしょう。
内面の美意識を積むアート
これまでは作家の作った作品を通して、自然と美意識も良い方向に積み重ねられていくかなと思っていました。そこに対して、山本さんはひとつの解を示してくれています。
美意識というのは、目の前に出された絵の価値がわかるとか、美術史的な知識があるとか、そういうことではなくて、究極的には「自分の人生を、生きているうちに作品化しようとする志」だと思うんです。
ー 教養としてのお金とアートより引用
つまり、作品が何十年、何百年と鑑賞されるように「人生を作品化」することが、その人の美意識の形になるのではないかと思います。
例えば、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツさんは、“自分の仕事のルーツはレオナルド・ダ・ヴィンチだ”と考えて、レオナルド・ダ・ヴィンチが1510年に著した36枚の手書きの紙からなる科学文書「レスター手稿」を、なんとオークションで3,080万2,500ドル(約30億円)で落札しています。
それはまるで表面的なブランドではない、内面的な在り方をコレクションで表現しているようです。
自分の考えをアートと重ねながら楽しみ、時にコレクションもする、そんなふうにして自身の美意識を目に見える形で表現してみたら楽しそうです。
レオナルド・ダ・ヴィンチはすごかった
ビル・ゲイツさんのお話でもあったように、本書にはレオナルド・ダ・ヴィンチのエピソードについてもいくつか書かれていて、「ダ・ヴィンチって探究心と行動量の塊のような人だったんだなぁ」と実感しました。
そこで、ダ・ヴィンチのすごいと感じたポイントを4つご紹介します。
エピソード1:「近代会計学の父」から直接数学を学ぶ
イタリアの数学者であるルカ・パチョーリ(1445年ー1517年)との出会いをきっかけに数学を学ぶ機会を得ていました。
ルカ・パチョーリは当時の数学の基本書「スンマ」の中で初めて複式簿記を学術的に説明したことにより、「近代会計学の父」と呼ばれるようになりました。
ダ・ヴィンチは公的な教育を受けることができず独学で知識を得ており、この「スンマ」も読んでいましたが、その著者から直接数学を学ぶことができたことで、後の数学的発想で絵画を描くことに繋がったのでしょう。
エピソード2:数学的思考を反映した絵画が画期的だった
数学的発想も使って、ダ・ヴィンチは透視図法や消失点を用いた図法で絵画を描きました。
ダ・ヴィンチが生きた時代は神が頂点にいて、その下に人間がいる構図が常識で、絵画も「神からの視点」で描かれていました。
透視図法を取り入れたということは、「私がここから見ている」という人間の主体性が生まれることを意味します。
絵画が技術的な発展だけでなく、人々の精神的な発展も描いているところが面白いです。
エピソード3:実験大好き
山本さんの思うダ・ヴィンチの面白いところは「数学という抽象的なものを、実験や実証性によって体現したこと」と話しています。
どういうことかというと、
- 解剖=犯罪となった時代にもかかわらず自分のアトリエでこっそり死体を運んで人体の解剖をしていた
- 解剖から対象物を見ることそのものに疑問を抱き、私たちが見ている世界は見られている側からすると左右逆になっていて、私たちは現実を錯覚して見ているという「目で見ることは錯覚だ」ということに気づく
といった具合です。
常識の範囲外まで学問を極める姿勢があることがよく分かり、実験大好きだったんだなとも感じるエピソードです。
エピソード4:未完成作品が多い理由
ダ・ヴィンチはよく未完成の作品が多いといわれています。
それは、ダ・ヴィンチの生きた時代までは絵画は売るものではなかったこともありますが、一番は「サイエンスには完成がないから」という発想があったようです。
世代を超えて研究が続く科学の在り方を絵画にも取り入れているようです。
自分の人生を自分の作品として成立させています。
まとめ
今回は山本豊津さんと田中靖浩さんによる共著「教養としてのお金とアート」を読んだ感想をまとめていきました。
会計の話ももちろんありましたが、興味を持ったのはやはりアートが中心であることがまとめていて分かりました。
会計のお話も気になる方は書籍もチェックしてみてくださいね。