【キュビスム編】繋げて知る美術史|多視点で形を再構成し表現を拡張した芸術運動
美術史を調べていると「この歴史が今のアート鑑賞にどう繋がるの?」という疑問がよく湧きます。
私自身、美術史のある一点について調べると知識が増えていく感覚はあるものの、その歴史的な点を今と繋げて考えることができず「知識として役立てにくい」と感じてきました。
そこで、美術系ブログ運営とアートコレクターの視点をもとに、美術史の点を紹介しながら今日のアート鑑賞に活かせる要素を線で繋いでみる試みをしていきます。
題して、「繋げて知る美術史」シリーズ。
今回のテーマは「キュビスム」です。
芸術運動 | キュビスム |
時期 | 1907年頃から1916年頃 |
地域 | 主にフランスで発展 |
特徴 | 対象の形を分解して複数の視点から再構成し「視覚と認識の仕方」を問い直そうとした 見たものを忠実に描く伝統的な美術からの脱却 ⬛︎芸術運動の変遷 ・セザンヌ的キュビスム:「対象を幾何学形体に還元」を重視 ・分析的キュビスム:「形態の分析や再構築」を重視、抽象的 ・総合的キュビスム:「形態の明確さとカラフルな色」を重視、比較的具象的 |
影響 | 後の抽象芸術や構成主義、シュルレアリスムなど多くの芸術運動に影響を与えた 芸術における表現の概念を拡張し、新たな視覚言語を創出 |
代表作家 | パブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラック、フアン・グリス |
本記事では3人の代表作家(パブロ・ピカソさん、ジョルジュ・ブラックさん、フアン・グリスさん)と、キュビスム作家を強力にサポートした画商のダニエル・ヘンリー・カーンワイラーさんに焦点を当てて、キュビスムの魅力的な要素をお届けします。
アート鑑賞に活かせるキュビスムのキーワード
今を生きる私たちと同時代の作品を鑑賞する際にキュビスムの知識を役立てるには、キュビスムに特徴的なキーワードから知るのがおすすめです。
そこで、キュビスムの主なキーワードを以下にまとめました。
キーワード | 概要 |
---|---|
伝統からの脱却 | 見たものを忠実に描く伝統的な美術に対して「現実の把握はひとつの見方でいいのだろうか」という問いを探究し、キュビスムが誕生した。 |
セザンヌとアフリカ美術からの影響 | ①ポスト印象派のポール・セザンヌさんの抽象的な絵画表現と、②アフリカ彫刻の野生味と呪術性、図式的な表現に影響を受けた。 |
見る認識の拡張 | 描く対象をあらゆる角度から把握、分解し、複数の視点を再構成し同時に描写することで、対象の本質を探求する挑戦をした。 |
抽象から具象へ | キュビスム初期は「形態の分析や再構築」を重視し抽象さが目立った。次の段階では「形態の明確さとカラフルな色」を重視し具象的で理解しやすく発展した。 |
キュビスムが分かりにくい理由 | 見た目の分かりやすさよりも、対象への造形的な関心が強かったため。なので、対象を細分化し再構成した作品は原形を留めていないことが多く、分かりにくい。 |
これからキュビスムを描いた作家とその作品を紹介していきますが、見た目だけでは何が描かれているのか正直よく分からない作品も登場します。
「この作品よく分からない」という感情は、同時代に発表している現代アートを観た中でも時たま感じるはずです。
その意味で、過去のキュビスム作品の制作背景を知ると、今のアートと向き合う時の解釈を手助けしてくれます。
そんな体験ができるように、具体的にキュビスムの魅力を紹介していきます。
キュビスムとは?
キュビスムは、特に最盛期の作品は対象の形を分解して複数の視点から再構成する手法をとることで、「視覚と認識の仕方」を問い直そうとした芸術運動です。
キュビスムはモチーフの形態を分析したり、再構築したりすることに関心が向いているのが特徴で、作品の中にはモチーフを分解しすぎてしまって、何を描いているかわからからない絵画も多く存在します。
そんなキュビスムを生み出したのはパブロ・ピカソさん(1881 – 1973、スペイン)とジョルジュ・ブラックさん(1882 – 1963、フランス)の二人といわれています。
二人は何のためにキュビスムを生み出したのでしょうか。
見た目のリアルさからの脱却を試みたキュビスム
キュビスムが生まれた背景には、工業化の進展がもたらした美術への影響が挙げられます。
キュビスムが生まれる以前の19世紀〜20世紀初頭の美術は「見たものを忠実に描く」ことを重視していました。
そこから、1839年に画家のルイ・ジャック・マンデ・ダゲールさん(1787 – 1851、フランス)により写真が実用化し、美術界にも影響を与えました。
写真の忠実な再現性に対する衝撃は、歴史画家のポール・ドラローシュさん(1797 – 1856、フランス)の「今日を限りに絵画は死んだ」という言葉からも感じ取れます。
その後、写真と美術はお互いの利点を活かしながら共存していくことになりますが、実用的な写真の発明がひとつの転換点となり、これまでの写実性に重きを置いた美術を疑い、作家だから生み出せる作品の探究へとシフトしました。
キュビスムも同様に、見たものを忠実に描く伝統的な美術に対して「現実の把握はひとつの見方でいいのだろうか」という問いを探究した結果、複数視点でモチーフを分析し、絵画の中で再構成した立方体の集積のような作品が生まれました。
キュビスムの語源は「立方体」
キュビスムは、「立方体(キューブ)」という表現から生まれた言葉です。
キュビスムという言葉の生みの親は諸説あり、
- 美術批評家のルイ・ヴォークセルさん(1870 – 1943、フランス)が、その幾何学的な形態に注目し「形体を軽視し、全てを幾何学的な図式や、立方体(キューブ)に還元する」と表現したことから。
- フォーヴィスムの代表画家アンリ・マティスさん(1869 – 1954、フランス)が「小さな立方体の集まり」と話したことから。
が挙げられます。
これが後に「キュビスム」という用語に発展し、この芸術運動を特徴づける言葉となりました。
ちなみに、キュビスムはフランス語(cubisme)、キュビズムは英語(cubism)で2通りの表記の仕方がありますが、意味は同じです。
作家と作品から知るキュビスムの流れ
パブロ・ピカソさんとジョルジュ・ブラックさんから始まり、今日まで語り継がれているキュビスムはどんな流れから美術史上で影響力を持ったのでしょうか。
キュビスムの流れを醸成した作家に焦点を当てて、芸術運動として影響力を持った理由を探ってみましょう。
パブロ・ピカソ|20代で伝統から脱却しキュビスムを生み出した作家
キュビスムの流れを知る上でまず名前が挙がるのがパブロ・ピカソさん(1881 – 1973、スペイン)です。
キュビスム以前のパブロ・ピカソは絵の個性が光っていた
美術教師を父にとして生まれたピカソさんは子どもの頃から美術教育を受けていて、16歳の頃には《叔母ペーパの肖像》(1896)のような写実的な技巧を身につけていたという神童エピソードがあります。
その後、青の時代(親友の失恋自殺の衝撃から青を基調に人生の悲哀を描いた時期)やばら色の時代(憂鬱な主題が消え明るいピンク系の色調が現れた時期)を経て、個性的な様式を築いていきました。
セザンヌ、アフリカ美術の影響を受け生まれたキュビスム
ピカソさんは、以下の2つに影響を受けつつキュビスムを生み出したといわれています。
- ポスト印象派のポール・セザンヌさん(1839 – 1906、フランス)の抽象的な絵画表現(自然界に存在するものの形態に注目して、球体、円錐、円筒などの幾何学形体として捉えた作品)
- アフリカ彫刻の野生味と呪術性、図式的な表現
この2つに影響を受けて、多数の習作を経て生まれたのが、初のキュビスム作品といわれる《アヴィニョンの娘たち》です。
初のキュビスム作品とされる《アヴィニョンの娘たち》(1907)
バルセロナの娼婦街という世紀末のファム・ファタル(男を破滅させる魔性の女の意味)という刺激的な主題よりも、描き方が大きな衝撃を与えた《アヴィニョンの娘たち》。
その衝撃は、当時非公式で作品を観たという4人、詩人・批評家のギヨーム・アポリネールさん(1880 – 1918、フランス)、画家のアンドレ・ドランさん(1880 – 1954、フランス)、ジョルジュ・ブラックさん(1882 – 1963、フランス)、アンリ・マティスさん(1869 – 1954、作家)が揃って「何かの冗談」と困惑した言葉を発したことからも窺えます。
ピカソさんと近しい人ですら批判した作品に世間が追いつくまで、30年以上の歳月を要しました。
制作年から計算すると、《アヴィニョンの娘たち》はピカソさんが27歳になる年に描いていることにも驚きです。
そんな《アヴィニョンの娘たち》は、
- セザンヌさんからの影響:女性や風景、果物といった、目に映るものすべてを幾何学的に捉えた
- アフリカ彫刻からの影響:異文化から着想を得て、伝統的な西洋美術にない野生味や呪術性、図式的で概念的な表現を取り入れた
を受けつつ、
- 伝統的な表現からの脱却:伝統的な遠近法や美意識を覆し、使用する色を絞り、平面的で単純な形態で表現する
を試みることで、写実的に描く枠の外にある、独自の生命力を放つ絵画となりました。
ピカソさん自身、伝統的な絵画との決別を意味して《アヴィニョンの娘たち》を「最初の悪魔祓いの絵」と呼んだそうです。
アフリカ美術の呪術的な要素と繋げて、伝統的な美術への悪魔祓いを絵画に置き換えて実行したのかもしれません。
形態と構成の実験を感じる《マンドリンを持つ少女》(1910)
《アヴィニョンの娘たち》制作から3年後に制作されたのが《マンドリンを持つ少女》(1910)です。
色面が大きかった《アヴィニョンの娘たち》と比べると、モチーフの分析が進み、だまし絵的な奥行きが出ているのが分かります。
形態とその構成を単純化する様子に目が向くように、彩りから得る心地よさに意識が取られないよう色遣いをモノクロに寄せている様子が伺えます。
2次元的でありながらも量感を感じる、新たな美術の語彙を創造しているようです。
キュビスムの中で初のコラージュが生まれた《籐椅子のある静物画》(1912)
キュビスムの実験が進む中で、パピエ・コレ(紙、写真などを貼る技法)やコラージュ(紙以外のものも貼る技法)が試みられました。
その理由は、ピカソさんの作品《マ・ジョリ》(1911 -1912)を見ると推察できます。
所々に主題のヒントが描かれているものの、パッと見では「何を描いているのか理解できない」と思う人が多いはず。
見たままを描くことへの反発も込めたキュビスムでしたが、モチーフの分解が進み過ぎて原型を留めていないレベルになってしまうと、主題を分析、解体して再構築することの意味が失われることになります。
それを避けるために、認識できる対象を登場させれば良いという発想から、パピエ・コレやコラージュは生み出されたそうです。
リアルな絵画を見慣れた人にも寄り添いつつ、キュビスムという新たな概念も知ってもらうための作戦的な技法として生まれたのかもしれません。
キュビスムの探究を深めていったピカソさんですが、1914年に第一次世界大戦が始まってしまいます。
外国人のピカソさんは徴兵されずに済み、1916年までキュビスムを続けた後、新古典主義という新たな芸術運動に転じました。
ジョルジュ・ブラック|キュビスムの理論的基盤を築いた立役者
ピカソさんと同じく、キュビスムを醸成した人物として知っておきたいのがジョルジュ・ブラックさん(1882 – 1963、フランス)です。
パブロ・ピカソとの出会いからキュビスムの理論的基盤を築いた立役者
ブラックさんは装飾塗装業者を父として生まれ、美術学校を経てフォーヴィスムの色彩表現に熱中しました。
そんな中で《アヴィニョンの娘たち》を観た当初は批判していたものの、ピカソさんと共にキュビスムを探究し、その理論的基盤を築きました。
ピカソさん同様に、ブラックさんもセザンヌさんの形態に焦点を当てた作品からの影響を受けていました。
ものの形態を分析するような絵画を制作《レスタックの家々》
1908年には《レスタックの家》という、丘の斜面に並ぶ家々を単純化した風景画を描きます。
元の風景が想像できないほど単純化された絵画は、目で見た情報を頭の中でどう捉えているかを分析しているようです。
ブラックさんはピカソさんと影響し合いながら、ものの形態を分析するような絵画を発展させていきます。
複数視点の組み込みを重視した分析的キュビスム《ギターを持つ男》
キュビスムの探究が進んだ《ギターを持つ男》(1911 – 1912)は、奥行きを否定するかのように平面的に描かれた釘とロープをリアルに描きながら(左上角)、ギターを弾く男性をほとんど識別できないくらい抽象的に描いています。
《レスタックの家》もかなり抽象的な家を描いていましたが、どうして対象を捉えづらくしたのでしょうか。
その理由は、キュビスムがいろいろな視点を入れるということを重要視したため。
具体的には、
- 対象をあらゆる角度から把握する
- 対象を見た通りではなく考えたように構成する
の2つを取り入れ、対象の元の形から分解を進め、細分化を強めていきました。
そのため、まるで不揃いの結晶体を積み重ねたような、抽象的な見た目になっていきました。
こうした特徴を持つキュビスムは、「分析的キュビスム」と呼ばれるようになります。
パブロ・ピカソと「山登りをする2人の登山者のように」伝統を覆す挑戦をした
《ギターを持つ男》を収蔵しているニューヨーク近代美術館(MoMA)の解説文を読むと、ピカソさんと共に伝統を覆すために、視覚による新たなものの捉え方を探求していたことが伺えます。
ブラックは、伝統的な遠近法による深度表現とは異なり、パブロ・ピカソとともに、形を表現するための新しい、非自然主義的な語彙を創造しようとしました。これは、絵画における幻想的な空間の正統性に挑戦するものでした。
MoMA-Georges Braqueを元に翻訳
ピカソさんとは「山登りをする2人の登山者のように繋がっていた」というくらい、キュビスムの理論を結実すべく、お互いに命を預け合っていたのが分かります。
その後も、ピカソさんと共に制作を続けますが、1914年8月に第一次世界大戦が勃発。
ブラックさんは兵士として前線に向かい、共同実験によるキュビスムは終わりを迎えました。
1915年にブラックさんは一時的に失明するほどの重傷を負ったものの帰還し、作品制作を続けたといいます。
ダニエル・ヘンリー・カーンワイラー|画商の真摯なサポートも大切
絵画を続けていけるかも分からない不安の中での挑戦。
ピカソさんとブラックさんの作品に世間が追いつくまで30年以上の歳月を要したということは、その期間を支える存在があったことを意味します。
キュビスムを探究する若く新しい作家を支援しつづけた人が、画商のダニエル・ヘンリー・カーンワイラーさん(1884 – 1979、ドイツ)です。
キュビスム作品の美術的価値を最初に見出し、作家を真摯にサポートした
カーンワイラーさんはピカソさんの《アヴィニョンの娘たち》の美術的価値を最初に見出した人といわれていて、ブラックさんの作品にも魅了され、二人の探究するキュビスムを押し上げるために尽力しました。
印象的なのは、画商としてカーンワイラーさんは作家を経済面でも理論面でも支えたこと。
いくら良い作品でも世間に受け入れられなければ、次第に経済的に苦しくなり、制作が続けられなくなることがあります。
カーンワイラーさんは自身が信じた作家を今でいう所属作家として迎え、作品を一括購入することで作家が制作に注力できる環境を用意するだけでなく、作家との対話を通したアドバイスもしたといいます。
そして、展覧会を通じて作品を海外へ広くキュビスムの作品を紹介しました。
こうした支援の大切さはピカソさんが1910年に「カーンワイラーに商才がなかったら、われわれはどうなっていただろう」と賞賛したことからも明らかです。
今のキュビスムがあるのは、画商の真摯なサポートがあったからといっても過言ではないでしょう。
フアン・グリス|キュビスムに明確さと華やかな色を持ち込んだ作家
ピカソさん、ブラックさんの二人で実験を進めたキュビスムはパリで多くの作家に取り入れられたことで、芸術運動として広がっていきます。
その中でもピカソさん、ブラックさんより遅れてキュビスムの原理と出会い、その躍進に貢献したのが、第三のキュビスムを扱う作家といわるフアン・グリスさん(1887 – 1927、スペイン)です。
グリスさんは40歳という短い生涯の中で、理論的にキュビスムと向き合いました。
ピカソさんとブラックさんは「形態の分析や再構築」を重視して抽象寄りに進んだ一方で、グリスさんは「形態の明確さとカラフルな色」による具象的で分かりやすい作品を制作しました。
明瞭な区切りとカラフルな色が特徴的な総合的キュビスム《朝食》
窓の格子によって切り取られた青い空の明るさと、部屋の暖かい色合いによる静物画は、ピカソさんやブラックさんの描くキュビスムにはない親しみやすさがあります。
コーヒーミル、コーヒーポット、ボウル、新聞などが大きな平面の上に丁寧に描かれ、ものとして識別しやすいのが特徴的です。
色面の配置も心地よくデリケートな色彩感覚に、理論家でもあるグリスさんの秩序を重んじる性格が現れています。
グリスさんはモチーフを極端に解体することなく、より具体的で大きな面による構成で絵画的な質感を追求しました。
極端に要素を分けてきた分析的キュビスムに対して、グリスさんのように大きな面に再統合したり具象的で読み取りやすさが現れた時期を「総合的キュビスム」といいます。
抽象から具体に至る手法を用いた《新聞のある静物》
《新聞のある風景》はピカソさんやブラックさんが用いていた、実際の新聞を作品に貼ったパピエ・コレという手法から発展し、実物のように描くことを実践した作品です。
本物のコラージュから、量感のあるリアルな描き込みへ歩みを進めたキュビスムの変遷が読み取れます。
キュビスムは立体に対する造形的な関心の方が強い傾向がある中で、グリスさんの場合、絵画の中にアクセントとなる色を使うことが多く、カラフルでおしゃれな印象が湧いてきます。
例えば、色のインパクトが目を惹くレモンは本物っぽく色をつけているかと思えば、わざと途中で色を塗るのをやめています。
そういったグリスさんのバランス感覚に壮大な静けさが宿っているようです。
アメリカを代表する美術愛好家にコレクションされたことでも有名
グリスさんの鑑賞者に歩み寄ったキュビスム作品は、高い見識を持った美術愛好家のダンカン・フィリップスさん(1886-1966、アメリカ)が初めてキュビスムの作品としてコレクションに迎えたことでも知られています。
ダンカン・フィリップスさんは伝統的で学術的な基準に従わない芸術が美的・文化的に価値のあるものとして広く受け入れられていなかった時代に、アメリカ美術の19世紀後半から第二次世界大戦後に至る歴史を物語る作品を収集した人物。
そのコレクションは「フィリップス・コレクション」として継承されていて、その数はなんと約6,000点といわれています。
芯のあるコレクションを築いていたフィリップスさんは、ピカソさんとブラックさんの描いたキュビスムの最盛期の作品をそれほど好んでいなかったそうです。
その中で、バランスと緊張感の妙を得たグリスさんの作品を、キュビスムの作品として初めてコレクションしました。
そういった意味でも、グリスさんはキュビスムという芸術運動を広く鑑賞者に届けたといえます。
まとめ
作家のピカソさん、ブラックさん、グリスさん、そして画商のカーンワイラーさんを中心に、キュビスムの魅力をまとめてみました。
モチーフを分解して訳の分からない絵画が生まれた背景を知ると、芸術を通じて新たな時代を築こうとした人々のストーリーが見えてきます。
時代は違えど、同じ人が築いてきた歴史には今に活かされている理論や表現があります。
最初はうまくいかなくても、美術史の知識を同時代で活躍している作家の作品と繋げてみながら、複数の解釈をするための糸口にしてみてください。
参考文献
参考リンク
- 菱一号館美術館公式ブログ|埋もれた巨匠を発掘!④:フアン・グリス(前編/後編)
- 「ピカソ美術館(パリ)」公式ウェブサイト(フランス語)
- 「ポンピドゥー・センター」公式ウェブサイト(フランス語)
- 「フィラデルフィア美術館」公式ウェブサイト(英語)
- 「ベルン美術館」公式ウェブサイト(英語)
- 「ニューヨーク近代美術館」公式ウェブサイト(英語)
- 「シカゴ美術館」公式ウェブサイト(英語)
- 「フィリップス・コレクション」公式ウェブサイト(英語)
※本記事は私自身の学習や探究の結果を反映し、生物のように新陳代謝し成長する読み物です。こだわりを持って書いていますが、すべての情報を網羅できている訳ではありません。気になった要素は追記していくので、流動的な記事であることご了承ください。