1998グループ展「DOOMs」|同世代作家8名が終末と始まりを紡いだアートをご紹介
同世代がアートを通じ表現する、社会の空気感への抵抗を示すような作品たち。
同じ時代で一緒に年を重ねてきた作家同士のグループ展を観たら、現代社会と“わたし”の関係性を考えるきっかけになったり、想定の外側を受け入れることで得られるものに気づけたりするかもしれません。
今回は東京・馬喰町にあるSOM GALLERYにて開催した、工藤時生さん、斎藤志公さん、齊藤隆嗣さん、澤田光琉さん、GORILLA PARKさん、松田ハルさん、横手太紀さん、渡邊涼太さんの8名によるグループ展「DOOMs」の模様を写真とともにご紹介。
累計120の展覧会レポートをまとめ、2021年からアートコレクションをしている視点からレポートします。
グループ展「DOOMs」とは
DOOMsとは、「破局、終末、運命」を意味する言葉です。
今回の展示では、表現空間を通して多様な思考、感覚を共有し対立・緊張・調和など、さまざまな関係によって失われた「私たち」という感覚を問い直しています。
ちなみに、今回の展示は2022年に作家5名(工藤時生さん、GORILLA PARKさん、澤田光琉さん、松田ハルさん、渡邊涼太さん)で開催したグループ展「1998」からつながる展覧会でもあります。
1998年度生まれの作家が集まった「1998」によるグループ展
「1998」とは、閉塞する社会への悲観の中で捨てきれない憧憬を表現に託す、1998年生まれの複数の作家から出発した無頭の集団のことです。
この「1998」の名称には、こんな想いが込められているそうです。
現代を生きる人々は近年、不景気、天災、未知のウイルス、戦争など不可抗力で想像もできないことにさらされ続けていて、そういった現実に何か別の角度からアクションを起こしていけないかなと思ったんです。
公益財団法人 現代芸術振興財団|インタビューより引用
みんなで展示タイトルを決める時、ポケモンのメタモンやターミネーターT1000の話が出ました。いずれのキャラクターも何にでもなれるけど、それゆえに何にもなれないという、ただその言葉をそのままタイトルとしてしまうとあまりにも安直というかふざけてしまっている印象があったので、直球に僕たちの生まれ年である「1998」にしようとなったんです。
今回のグループ展「DOOMs」では、前回から3名増えた、工藤時生さん、斎藤志公さん、齊藤隆嗣さん、澤田光琉さん、GORILLA PARKさん、松田ハルさん、横手太紀さん、渡邊涼太さんの8名が集まったグループ展になります。
グループ展「DOOMs」展示作品をご紹介
閉塞する社会への悲観の中で捨てきれない憧憬を表現に託す作家が捉える、現代社会と“わたし”の関係性を、展覧会ステートメントにある「わたし自身の中の欠落の自覚・その共有」も参考にしながら深めてみましょう。
- 今回参考にした展覧会ステートメントはこちら
…私たちはいま誰もがこの社会の、あるいは大きな制度の道具的存在として自己を抑圧し、疎外されている。自由や自己実現のために感情を犠牲にするこの耐えがたい矛盾の中でわたしという存在はたえず痙攣し、緊張し、安らぐ場を失っている。しかしこの悲惨を生んだ悪はいったい何処にあるのか?…そしてこの生きづらさを作っているのはわたしたち自身の選択ではないか?
終末 (DOOMs) は資本主義という怪物の否定を意味しない。高度な技術の支配力の否定を意味しない。私たちは望む。この耐えがたい冷え切った世界の悪循環をつくる「わたし」という存在の終末を。この世界の終末 (DOOMs) はこれまでの私たち自身の終末なのである。わたし自身の中の欠落の自覚・その共有は終末への歩みであると同時に新たな世界の始まりである。…展覧会PRESS RELEASEより引用
工藤時生
天使をモチーフにした彫刻作品で、羽根を6つ持つというセラフィム(熾天使)を表しているようです。
旧約聖書に登場するセラフィムは「南ユダのユダヤ人たちに向けて警告と希望の両方を語り、人々は希望を目指すも結果的に悲惨へと回帰してしまう」という記録があるそう。
その話と重ねて作品を観ると、一見天使には見えない作品の印象も、人間の理性や現代社会の枠組みの内で考えているが故の解釈かもしれず、自ら枠外に目を向ける必要性を示しているようでした。
工藤時生(くどう ときお)さんは1998年生まれ、群馬県出身の作家です。
呪いや神隠し、祭りや祈祷など人間や人間の営みに秘められた平穏や日常の自立性の崩壊させ神秘体験にさらわれる瞬間をモチーフとした作品を主に制作されています。
工藤時生さん|Instagram:@tt.95_m
斎藤志公
一見すると身体に米を盛っている作品は、「身体=器」という捉え方をすると発見が。
成人の体重の60%は水分でできていることから、人間の身体を“水を貯える器”と捉えてみると、身体を普段使う器のように扱っているように見えます。
身体で陶芸し作品化している様子は、ヒトの身体が持つ構成要素のひとつに注目することで見えてくる新たな可能性を示しているようでした。
斎藤志公(さいとう しこう)さんは岩手県出身の作家です。
陶芸によって作品化される壺と自身の身体を重ね合わせ、「私」とその周辺を模索する作品を制作されています。
斎藤志公さん|Instagram:@shikosaito
齊藤隆嗣
カードゲームにも見えるには「It’s Only a Paper Moon」と書かれていて、説明欄にある英文を読むと、1933年にハロルド・アーレンさんが作曲した歌詞の一部であることが分かります。
1900年代初頭の景気変動に翻弄されたアメリカを背景にできた歌で、「ただの紙のお月様(ペーパームーン)でも信じ合えば、見せかけではない本当の月のように思える」といった郷愁を感じる歌詞が綴られています。
販売当初は床に落ちたカードのように汚しながら遊んでいたのに、現代では新たな付加価値がつきカードローダーに入れる存在にもなったカードゲーム。
経年による魔法のような現象と重ねて考えると、月という異界への憧れも人間の持つ信じ合う力が、新たな状況を生み出せる可能性を持つ様子を示しているようでした。
齊藤隆嗣(さいとう たかつぐ)さんは1998年生まれ、東京都出身の作家です。
社会領域と芸術現象の協同関係、諸政治哲学や神話などを参照しながら映像や絵画、インスタレーションなど様々なセグメントを配し、新たなナラティブを紡いでいます。
齊藤隆嗣さん|Instagram:@takatsugusaito.artworks
澤田光琉
月とその表面の肌理(きめ)を描いた作品は、暗めの展示会場で光を意識させます。
太陽の光があるから月を認識できるように、より解像度を上げた肌理まで観れません。
そういう意味で、光の差し方、強度によって見える要素や湧いてくる感情に違いがあり、光から生まれる情景が映し出されているようでした。
澤田光琉(さわだ ひかる)さんは1999年生まれ、滋賀県出身の作家です。
些細な日常をモチーフに、光を柔らかく反照し、空間へ作用することができる作品を制作されています。誰かを想う事でその風景は形を変えながら伝播し、その生活のコミュニケーションの中で表現の本質を見る試みをしています。
澤田光琉さん|Instagram:@hikarusawada0127
GORILLA PARK
これまでの彫刻作品から、紙と岩絵具の平面作品にチャレンジしている新作。
プリズムで光を可視化したような虹の表面は砂のように粗く、艶のないマットな質感が印象的です。
まるで顕微鏡で組織や細胞を拡大した印象を受ける抽象的な画面からは、色の配置や濃淡から奥行きもあるようにも感じ、目では認知できない存在と出会うような感覚になれます。
GORILLA PARK(ゴリラパーク)さんは1998年生まれ、埼玉県出身の作家です。
野生的な木彫を通じて地球上にある特定のイメージを現実の物質として再構築し、人間が認知することが出来ず、見たことがない物体を、普遍的な素材を使い、人の手で創ろうと模索しています。
GORILLA PARKさん|Instagram:@gorilla___park
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松田ハル
3D空間をキャンバスに見立ててオブジェクトを描いたものをシルクスクリーンで平面作品にしているそうです。
人やうさぎとは認識できるくらいの抽象的なモチーフが描かれ、現実世界のようなリアルさの追求ではない、技術と美術の関係性を探求しているようでした。
中には名画の引用もあり、例えば、左下にある《この人を見よ》(1910、エリアス・ガルシア・マルティネス、スペイン・Santuario de Misericordia)は修復が全く似ておらず話題となった絵画でしたが、その後は観光地として思わぬ経済効果を生んだそうです。
こうした想定外の影響を新たな技術からも生み出せるのかもしれないと感じる作品でした。
松田ハル(まつだ はる)さんは1998年生まれ、岩手県出身の作家です。
VRで描かれた3Dのオブジェクトやドローイングを、版画の技法によって平面に定着させる手法で、リアルとバーチャル、AIと人間といった二項対立のようなものを複製技術によって物質に変換させた作品を制作されています。
松田ハルさん|Instagram:@hal_matsuda
横手太紀
鉛筆や壁、本、手の噛まれた跡のように見える箇所をうつした写真作品。
野生的な本能が生み出したのであろう痕跡から、犬や猫などの動物の存在を感じさせ、人間の持つ理性の外側に思考を誘ってくれているようです。
想定外の出来事に傷つくこともありますが、それがあるから独りではないと感じるとともに、造形としての力強さも感じる作品でした。
横手太紀(よこて たいき)さんは1998年生まれ、神奈川県出身の作家です。
身の回りに存在する気に留められることの少ない物に着目し、既製品の動きを利用したギミックや彫刻的アプローチを行うことによって、それらの「野性的な側面」を浮き上がらせた作品を制作されています。
横手太紀さん|Instagram:@ykttik
渡邊涼太
画像をずらして重ねたり歪めたりした人物像であろうものが、絵の具の塗りや削ぎを通じて描かれた作品。
中央の瞳に見えるところから人を連想しつつも誰かまでは認識できないのは、上部から垂れる暗色があるからで、その様子がまるで現代社会が何者かを判断する輪郭を見えづらくしているように映ります。
それと同時に、目の周辺は比較的明るい色が集まっていることから、作品タイトルにある太陽に次ぐ明るさで自ら輝く恒星・シリウスのように、自らが起点となることで社会に新たな輪郭を生み出せることを訴えているようでもありました。
渡邊涼太(わたなべ りょうた)さんは1998年生まれ、埼玉県出身の作家です。
カッターの刃や自分で作った道具でペインティングをするという手法で、「解像度を落とす編集」という再構成をして、境界線がなくなってしまった感覚に境界を与え、何者かを残すような作品を制作されています。
渡邊涼太さん|Instagram:@wata_ryota_
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まとめ:想定の外側にあるものがもたらす終末と始まり
8名の作家による作品それぞれが呼応するように配置されたグループ展を観て感じたのは、想定の外側を受け入れることで得られるものの存在でした。
現代社会に対して抱く閉塞感や虚無感のすべては取り除けなくても、今回のグループ展から得られる世界観や視点のどれかひとつでも受け取り、個人レベルで想定の外側に目を向けることで、自分にとっての新たな日常を生み出すきっかけにできるかもしれません。
蛍光灯を点滅させたり、壁紙を剥がしたりと、ギャラリー側の協力からも熱量を感じる展覧会でした。
グループ展「DOOMs」情報
展覧会名 | 「DOOMs」 |
会期 | 2023年8月25日(金) – 9月17日(日) |
開廊時間 | 13:00 – 19:00 |
定休日 | 月・火 |
サイト | https://www.somgallery.com/dooms |
観覧料 | 無料 |
作家情報 | 工藤時生さん|Instagram:@tt.95_m 斎藤志公さん|Instagram:@shikosaito 齊藤隆嗣さん|Instagram:@takatsugusaito.artworks 澤田光琉さん|Instagram:@hikarusawada0127 GORILLA PARKさん|Instagram:@gorilla___park 松田ハルさん|Instagram:@hal_matsuda 横手太紀さん|Instagram:@ykttik 渡邊涼太さん|Instagram:@wata_ryota_ |
会場 | SOM GALLERY(Instagram:@som___gallery) 東京都中央区横山町4-9 birth 5F |