【個展レポート】リアルとネットが融合する現代の日常感覚を描いたアート|斉木駿介「リプレイする」
スマートフォンから世界に繋がれる時代。
テクノロジーが進化していくに連れて情報を手軽に受け取れる反面、その利便性は時に歪んだ情報を届ける場合もあります。
こうした生活環境の中で変化してきたネットとの関係性を、現代の日常感覚や日々流れ去る情報を作品として描き出しているのが、斉木駿介さんです。
今回は横浜マリンタワー 2階アートギャラリーにて開催した斉木駿介さんの個展「リプレイする」の模様をレポートしていきます。
斉木駿介とは
斉木駿介(さいき しゅんすけ)さんは1987年生まれ、福岡県出身の作家です。
2010年に九州産業大学芸術学部美術学科を卒業し、2012年に同大学院博士前期課程芸術研究科美術専攻を修了されています。
主な展覧会に
- グループ展「はたからみる」(2023、CASHI/新宿眼科画廊、東京)
- 個展「Skip chapter」(2023、Artas Gallery、福岡)
- 個展「BAD TRIP VR」(2023、京都岡崎 蔦屋書店 GALLERY EN ウォール、京都)
などがあります。
リアルとネットが融合する現代の日常感覚を描いた作品
斉木駿介さんはリアルとネットが融合する現代の日常感覚や、日々更新されると同時に忘却されていく情報を絵画によって描き出した作品を制作しています。
今回の展覧会は横浜トリエンナーレの関連プログラムでもあり、斉木駿介さんがインターネットを通して見る世界やその混乱と「野草」のテーマを受けて作家自身の身体や居場所、リアリティのありかについても焦点を当てています。
- 「横浜トリエンナーレ」と「野草」とは?
横浜トリエンナーレは、横浜市で3年に1度開催する現代アートの祭典です。
第8回を迎える2024年の横浜トリエンナーレは、北京を拠点として国際的に活躍するリウ・ディン(劉鼎)さんとキャロル・インホワ・ルー (盧迎華)さんをアーティスティックディレクターに迎え「野草:いま、ここで生きてる」をテーマに開催。テーマにある「野草」とは、およそ100年前革命を経て中国が目まぐるしく変化した時代に、中国の国民作家、魯迅(ろじん、1881-1936)が特に苦しい思いをした時期に書いた詩集のこと。
弱いけれどもたくましく生きる野の草に自分の生き方をたとえ、苦悩と絶望の中でも生き抜こうとする生命力が現れています。
斉木駿介個展「リプレイする」展示作品をご紹介
今回の展覧会には、作品以外にカーブミラーとカラーコーンが置かれています。
これらのアイテムには、どんな意味が込められているのでしょうか。
展覧会ステートメントをヒントに書き出した、
- スマホ経由で届く利便で合理的な情報と豊かさの関係
- 世界のほんの一部を写す鏡とも言えるネット上の各種サービス
- 日々見ている画面越しの世界と現実世界にいる自分自身の見つめ直し
の観点を参考にしながら、斉木駿介さんの作品に加えて、展示空間全体も含めて観ていきましょう。
- 今回参考にした展覧会の紹介文はこちら
ちょっとした隙間時間があるとすぐにiphoneを見てしまう。
電車やバスの移動中はもちろん飲食店でもわずかな待ち時間を見つけてはついついX(Twitter)やInstagram、YouTubeを眺める癖がついてしまった。iPhoneは過去の検索履歴などから私の興味関心をよく理解している。
SNSを開けば私が反応しそうな投稿がアルゴリズムによりピックアップされ洪水のようにタイムラインに流れ込んでくる。
Netflixなどの動画サブスクには私の趣好とマッチ度が高いと判断されたアニメや映面が一生かかっても見切れないほど大量に表示されている。
私は目の前の大量の情報を消費するのに必死でそれらをスワイプしたり倍速再生したりして日々画面を眺めている。
利便性、合理性はあるものの果たしてこれは真に豊かな事なのだろうかと最近は考えている。
インターネットは世界に開かれているがSNSをはじめとした各種サービスは世界のほんの一部を写す鏡である。
そこに繰り返し映し出されているのは私の興味関心によって歪められた世界だ。またそのアルゴリズムを用いて経験を積み重ね知識を獲得したのが昨今進化が著しいAI(人工知能)である。
誰もが簡単に自動生成により文や画像、動画を作り出せるようになった事で真実とフェイクを見極めるのが益々困難な時代となっていくだろう。
ネットにある大量の情報の中には真実とその何倍もの数のフェイクが存在する。
災害時や有事の際には悪質なフェイクやデマが特に横行する。
これは関東大震災や太平洋戦争時にその混乱の中で誤った情報が飛び交った状態と本質は何も変わらない。
テクノロジーが進化しても使う方はそう簡単に変わらないという事だろう。
私の作品では実際に質感や匂い、味を知っているようなものとティスプレイ上で得た無味無臭で重さのない情報とが曖昧に混在している。
インターネットやAIがどこまで発展しても私の肉体は確かにここにある。
そして今私が立っているこの地は確かに世界と地続きである。
日々私が見ている世界と私自身をもう一度見つめ直したいと思っている。「リプレイする」ステートメントより引用
リアルとネットの境界線を想起させる「カラーコーン」
まず展示空間を見て気になるのが、作品手前に置かれたカラーコーンです。
カラーコーンは「区分けや規制を目的に注意を促すための道具」で、斉木駿介さんの作品の特徴を鑑みると、ネットとリアルの境界線を示していると考えられます。
カラーコーンで作られた境界線の先には、大小さまざまな斉木駿介さんの作品が並びます。
空間を分ける扉が描かれた《Border》(2024)や鑑賞者へ意識への注意喚起をする《みんな見てるぞ!!》(2024)による表現からも、ネットとリアルの境界線を意識させます。
エンタメとしての情報が持つ浸透しやすさ
爆煙が上がる街をバルコニーから見つめる人が描かれた《fiction balcony》(2023)は、日常で起きたら非常事態なワンシーンをマンガタッチで描写し、フィクション感を生んでいます。
一度フィクションと認識すると、漫画やアニメで見かけるワンシーンと同じように、エンタメとして状況をすんなり受け入れてしまいそうになります。
「画面越しに起こることはエンタメでありフィクション」という言葉が浮かぶと同時に、人に対する物質的な重みのない情報の浸透しやすさを感じます。
この浸透しやすさは、侵入を防ぐセキュリティ・コミュニケーションの略称で知られる警備保障会社のロゴが描かれた《security#12》にも描かれているようでした。
「黒煙の広がりの速さ=浸透の早い情報」としたら、想定外に対し個人を守る側のテクノロジーがどこまで安全を確保できるのかを問いかけているようでした。
ネットから流れ込む情報の浸透を止める再生ボタン
次の展示は楕円形のシェイプドキャンバスに描かれた、3つの作品です。
会場にも設置されているカラーコーンを描いた《sanctuary》(2024)と、海上で水際の護岸をするテトラポットを描いた《fiction tetrapod 2》(2024)。
その中央には、海面上に再生ボタンが描かれた《PLAY-water surface 2-》(2024)があり、画面越しに見る動画の要素も登場します。
両端の作品が「安全のために止める役割」を表しているとしたら、中央の再生ボタンが描かれた作品も同様の考えでネットから流れてくる情報の浸透を止めるためのものといえそうです。
例えば、YouTubeではアクセス履歴から関心が高そうと判断されたものがレコメンドされ、とめどなくおすすめ動画が流れてきます。
レコメンドは個人に最適化した情報を届ける意味で合理的ですが、裏を返せば受け身的に時間を消費していくことに繋がります。
一方的に流れてくる動画を眺めるのではなく、自己防衛としての再生停止の選択を意識的に使うことが、実生活の豊かさにつながるのかもしれません。
日々ネットから大量の情報を得ていることがわかる大型作品
自分自身、流れてくる情報をただただ眺めてきたなと感じる作品が《リプレイする》(2024)です。
4メートル近くある作品で、YouTubeを彷彿とさせる「再生ボタン」やネット上で話題になった「超大盛ペヤング」、「Instagramの通知」などが並んでいます。
同時代に生き、ネットから情報を得ている人が反応できるモチーフは、世代が代われば分からなくなるものも出てくるでしょう。
今を生きている人だからこそ分かる情報を集約した、ある種の風景画のようで、同時に情報の消費の速さが映し出されているようです。
また、《リプレイする》というタイトルを考えると、「ポポポポ〜ン」や「水面」、「EVACUATE!つなみ!にげて!」から2011年の東日本大震災が想起されます。
中でも「ポポポポ〜ン」のフレーズは、2011年の東日本大震災直後に民間企業のCMが一斉に自粛し、代わりに繰り返し放映された公共広告です。
この「あいさつの魔法。」というCMは元々ACジャパンの全国キャンペーンCMとして2010年に、「あいさつはたのしいこと、友達が増えるのは素敵なこと」というメッセージを伝えるためにつくられたものでした。
震災後の自粛ムードの中で必要以上に放映される無邪気で明るいCMは、当時強いコントラストを放っていました。
そのため、このCMキャラクターやフレーズを見ると、東日本大震災に引き戻される人も多いそうです。
ネット上に残るモチーフには強烈な記憶を再生させる、その意味でリプレイを促すものが絵画の中に組み込まれているようでした。
《リプレイする》と同じく4メートル近くある作品《スキップする風景》(2024)はリアルの世界で見かけるモチーフが多い印象で、白い余白が目立つ作品です。
白い余白はネットから無限に流れてくる大量の情報量を削除した跡のようで、あえて広く取られているように見えます。
仮にネットから得る情報を絶った場合、少なくない余白時間が生まれるはず。
普段の生活の中にネットから得る情報がいかに含まれているかが映し出されているようです。
ネット経由で手元に届く大量の情報は世界のほんの一部を写す鏡で、実体験で得た重みのある情報の価値についても考えさせられます。
世界を見ているようで自分自身を振り返る鏡となるディスプレイ
展示作品の中には、生成AIで出力した画像に加筆された作品も。
大量の情報から学習し出力される肖像画はその人らしい面影があっても、別作品に描かれた自撮りの姿を見ると、何か違う印象があります。
そこには情報の軽薄さがあるように思え、油絵具の加筆があることで重みが加えられてるようです。
また、中央と右の作品は画面上がほぼ真っ黒で、何が描かれているのか見えにくくなっています。
よく観ると人物(おそらく斉木駿介さん)の輪郭が見えると思いますが、これはスマホの画面を表しているのではと思います。
画面越しに世界を見ている気になっていたことを認知する瞬間が描かれているようで、そのことは展覧会概要からも伺えます。
インターネットの世界を見ている時、遠くて大きな世界に入っているようでありながら、ふとモニターやiPhoneの画面に映りこむ自分を見て、自身の存在を認識するような感覚を表現しています。
展覧会概要より引用
豊かに過ごせているかを振り返る装置「カーブミラー」
最後に、作品の間に設置されたカーブミラーを眺めてみると、今回の展示で感じたネットとリアルの境界線、情報の浸透しやすさ、自ら情報を選ぶといった要素が含まれているように見えてきます。
カーブミラーは鏡の中心から離れるほど歪んで見えます。
歪んで見える周縁は誰かによって選ばれた情報が流れ込む混迷さを表しているようで、横浜トリエンナーレのテーマとなっている中国の⼩説家・魯迅さんの詩集「野草」の中で表現されている“苦悩と絶望”の中にいる状態と重なる部分がありました。
同時にカーブミラーは自分自身を俯瞰し、利便で合理的な情報が届く世の中で豊かに過ごせているかを振り返る装置でもあるようでした。
まとめ:知る便利さが生む現代の窮屈感と余白の大切さ
斉木駿介さんの作品を観て感じたのは、「知るのには便利な時代だが、それだけでは豊かに過ごせない」ということです。
調べればある程度のことはすぐに答えが出せるようになり、ビックデータやAI活用が進み文章を書いたり画像生成したりもできるようになってきた2024年。
明らかに生活は便利になってきているのに、全員が豊かさを感じれないのはなぜかと思った時、さまざまに理由はあると思いますが、展示作品を振り返って思うのが余白の無さが生む窮屈感と孤独感でした。
だからこそ、《リプレイする》は現代の日常感覚をよく表しているように見えるし、《スキップする風景》のような余白はこれから必要だと感じました。
斉木駿介「リプレイする」展覧会情報
展覧会名 | 「リプレイする」 |
会期 | 2024年5月1日(水) ー 6月30日(日) |
開廊時間 | 10:00 ー 22:00 |
定休日 | 会期中は無休 |
サイト | https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000813.000058854.html |
観覧料 | 無料 |
作家情報 | 斉木駿介さん|Instagram:@shunsukesaiki |
会場 | 横浜マリンタワー 2階アートギャラリー(Instagram:@yokohamamarinetower) 神奈川県横浜市中区山下町14-1 |