中村萌「our whereabouts-私たちの行方-」|表情の魅力を探るようなアート
今回は銀座にあるポーラ ミュージアム アネックスにて開催した中村萌さんの個展「our whereabouts – 私たちの行方 -」の模様をご紹介します。
この記事を読むとこんなことが分かります。
- 中村萌さんの新作からこれまでの作品も知れる
- 展覧会タイトルの意味について知れる
- 作品と仏像の半眼とアルカイックスマイルとのつながりを考える楽しさを知れる
今回は作品鑑賞を通して感じた、日本の仏像の表情にみられる半眼とアルカイックスマイル とのつながりについても考察してみました。考察が答えということではありませんが、身近なものとアート作品をつなげて考える楽しさに触れていただけたら嬉しいです。
中村萌の作品制作
中村萌(なかむら もえ)さんは東京都生まれのアーティストです。
彫刻作品は楠(くすのき)などを丸太の状態から彫られていて、そこに落ち着いた油彩が入ることで愛らしい表情をみせています。植物や雲、動物のモチーフなどをまとった子どものような姿をしていて、ふっくらとした頬はまるで赤ちゃんのように柔らかそうに見えます。
わたしのようで、わたしではなく、
ーPOLA MUSEUM ANNEX 展覧会コメントより引用
だれかのようで、だれでもない。
そんな曖昧な存在を探るようにして、つくりつづけています。
そんなコメントからも、まるで生まれたばかりの赤ちゃんのように、「なにものにでもなれる」瞬間を掘り出しているように感じる作品です。
個展「our whereabouts -私たちの行方-」のコンセプト
「our whereabouts -私たちの行方-」は、今、このような状況の中で、「彷徨いながら、光を見つけ出す」という作者の想いが込められています。
展示した作品を通じて、それぞれが自分に問いかけながら、自身の中にある光を探す旅となるような展覧会です。
個展「our whereabouts -私たちの行方-」を鑑賞
今回の展覧会ではこれまで制作したものから新作を含む、木彫と平面作品の合計24点を展示していました。
大型作品GrowthとGrow in silence
個展では大型作品をいくつか鑑賞することができます。
Growth
Grow in silence
その中でも、《Growth(成長)》と《Grow in silence(静寂の中での成長)》という、タイトルに関連性を感じる2つの大型作品。
前者の頭部分は作者の手によって彫られている一方で、後者は木をナタで割ったままのものを積み重ねているようにみえます。
手のくわえられるものの良さと、あえて手をくわえないものの良さの両方を味わえます。
彫刻作品と平面作品の絶妙な境界
Bud of hope
towards the light
同じモチーフの作品を彫刻と絵画で制作したものがいくつか展示してあり、その境界とは何なのだろうと考えていました。
絵画は楠の樹皮がそのまま残っていて、素材をありのまま残している部分が特徴的です。一方で、彫刻作品は楠の樹皮はなく、作品の世界観を全方位で放っています。“楠=自然”にあるものとの距離感の違いが2つにはあるように感じます。
同じモチーフの作品を楠本来の姿との距離感を変えて表現することで、ある種森林浴をしているようでいて、アートという人の意志をもった存在も認知できる、絶妙なバランス(まるでラグランジュポイントのような)を取っているようでした。
Our whereabouts:展覧会タイトルにもなっている作品
Our whereabouts
展覧会のタイトルにもなっている作品です。3人のモチーフがトーテムポールのように積んであり、てっぺんにはギャラリー椿で観た「星の行方」の作品に似た子がいました。
一番下の赤い子は目を少し開いて外を見つめていています。
二番目のみずいろの子は目を閉じる代わりに口をすこし開けています。
三番目の紺色の子は目と口を閉じて、髪の毛のようなもので自分の胸の中を探っているように見えます。まるで、下から上に行くにつれて外の世界から自分の内側に意識を集中させているようです。
また、三人の大きさの違いから、一番下の大きい子=外の世界は大きくよくみるのに、一番上の小さい子=内の世界は見えないほど目を向けていない様子を表しているようにもみえます。
動物のような容姿の作品たち
まるで森の中にいる動物のような容姿の作品も展示していました。
On the way home
木のような服に身を包んで、熊の耳をこさえているところが愛らしいです。
I’m nobody
一方のこちらはウサギのような耳をした作品。うさぎのようになろうとしているけれど、そこに近づけはしてもそのものにはなれない。
そういう意味で、《私は誰でもない》というタイトルがしっくりきます。
彷徨っていると楽しめる発見も
会場に香る楠の匂いから、森の中を散策している気分にもなりつつ歩いていると、こんな遊び心にも出会うことができます。
展覧会の中にはイラストが隠れていて、重く考えすぎないように遊び心もアクセントとして添えているようでした。
(考察)仏像のような半眼とアルカイックスマイル
作品の表情を鑑賞して感じたのは、仏像のような半眼とアルカイックスマイルでした。
半眼:いろんな視点からみて ものごとを判断する
作品の目をみていると、如来像や菩薩像といった仏像にみられる「半眼」と重なるなと感じます。半眼とは、目を見開いてもいなく閉じてもいない状態のことです。
なぜ仏像の目が半眼なのかというと、一説では開けた半分で外の世界を見て、閉じた半分で自分の心の中の世界を見ている、という意味があるそうです。
目はものをみる器官であり、普段は外の世界に意識を振り切って使っています。それを半眼にすることで、肉眼だけでなく心眼も使って、ものごとを捉えているようです。
仏像の半眼と重ねて作品を観た場合に、「いろんな視点からみてものごとを判断する」ことの大切さを表現しているようにもみえます。その意味が、今回の展覧会のテーマともつながるような気がします。
ちなみに、作品の目は瞳が中心にあり目線が合う印象があるので、菩薩像に近いのかなと思います。菩薩像は仏道修行をしている一方で、人々の悩みを聞いたうえで手を差し伸べる存在なので、鑑賞者に寄り添うという意味でも、作品の印象と重なるところがあるなと感じました。
アルカイックスマイル:赤ちゃんのような微笑
また、口元に微笑のあるものについては、「アルカイックスマイル」と近しい印象を受けます。
赤ちゃんのみせる自然な微笑みをアルカイックスマイルと表現することもあり、比較的多くの人に受け入れられる特性があります。
鑑賞者が作品に惹かれるのは、アルカイックスマイルを作品の表情から感じ取れるためなのかもしれません。
まとめ:無防備になることで緊張をほぐす
中村萌さんの個展「our whereabouts -私たちの行方-」の模様をご紹介しました。
今回は日本の仏像にみられる「半眼」と「アルカイックスマイル」と通ずる要素があるなと感じて、作品とのつながりについても考察してみました。今回の展覧会テーマ「今、このような状況の中で彷徨いながら光を見つけ出す」ためのヒントにもなったように思います。
考察も踏まえて感じたのは、「無防備になることで緊張をほぐす」ということです。
目に入るものに意識を向け続けていると、気を張り続けてしまい、緊張状態が続いてしまいます。コロナ禍の状況下も相まって緊張度合いがより増している今、赤ちゃんの柔らかい表情のように、無防備になる時間をつくることも必要なのかもしれないと感じました。
無防備になって気を緩めたときに、自分が歩みたい道標が見えてくるのかもしれません。その手助けにもなる展覧会でした。
展示会情報
展覧会名 | our whereabouts – 私たちの行方 – |
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会場 | ポーラ ミュージアム アネックス 東京都中央区銀座1丁目7−7 ポーラ銀座ビル3階 |
会期 | 2021年9月3日(金)~10月10日(日) ※会期中無休 |
開廊時間 | 11:00~19:00(入場は 18:30 まで) |
サイト | https://www.po-holdings.co.jp/m-annex/exhibition/index.html |
観覧料 | 無料 |
作家情報 | 中村萌 さん|Instagram:@moenakamura_art |
参考リンク
今回の展覧会は、2つのギャラリーでの同時開催となっています。ギャラリー椿にて開催した個展については、こちらにまとめているので、合わせてご覧ください。