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【個展レポート】渡邊涼太「Reflection (Times)」|描き・破壊し蓄積した絵の具が映し出すリアリティ

よしてる
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フィクションがノンフィクションになる時代のリアリティとは何か。

渡邊涼太さんの描く行為と破壊する行為の痕跡が残る肖像画を観ていると、現実と虚構の境界線が曖昧になった現代を、絵画という映し鏡を通して見ている感覚になります。

どうしてそんな感覚を得るのか、肖像画に加えて新たに太陽と月の風景画にも取り組んだ展覧会を通して探究していきます。

今回は馬喰町・SOM GALLERYにて開催した渡邊涼太さん個展「Reflection (Times)」をレポートします。

渡邊涼太とは

「Reflection (Times)」展示風景(2024、渡邊涼太、SOM GALLERY)

渡邊涼太さんは1998年生まれ、埼玉県出身の作家です。

2023年に東京藝術大学大学院美術研究科油画修士課程を卒業後、現在は東京を拠点に活動をしています。

主な展覧会に、

などがあります。

描き・破壊しながら蓄積された絵の具が特徴的な絵画

《Sirius》(部分)
2024、渡邊涼太、acrylic, oil on canvas、H227.3 × W118 × D6 cm

渡邊涼太さんは描き・破壊しながらペインティングする手法で絵画を制作しています。

元となるモチーフはネットや作家自ら撮影した画像を用いていて、それをデジタル上で切り取り、貼り付け、色反転といった工程を入れることで、原形から離れた状態に。

そうして生まれたモチーフを、キャンバス上で絵の具を切りながら載せて形作ることで、壊すと作るの中間の存在を溜めていくように制作しています。

画像(=デジタル)上と絵画(=アナログ)上、2つの工程それぞれで原形を崩していく作品には、情報過多ゆえにものの実態が見えづらくなった現状を映し出しているようです。

渡邊涼太「Reflection (Times)」展示作品をご紹介

今回の個展では、描く部分と削ぐ部分が共存したポートレート作品《Sirius》の発表に加えて、新たに太陽と月という風景をモチーフにした作品も展示しています。

ギャラリー空間に対して5作品と、ゆとりある構成なのが特徴的です。

展覧会の紹介文にある「個人を形成するものも多様な様相を帯びている無秩序な時代の鏡としての絵画」、「人間存在の本質」にも注目しながら、作品を観ていきましょう。

Q
今回参考にした展覧会の紹介文はこちら

…渡邊は、絵画が絵画たりうる根源を追い求めると同時に、時代の鏡面としてのポートレートや風景を描いています。渡邊の絵画技法は、筆跡の生々しさ、濃厚さを漂わせるルシアン・フロイドや要素を削ぎ落とし本質に迫ったアルベルト・ジャコメッティなどの実存主義を踏襲し、現代のアプローチへと転換し、キュビズムに通ずる絵画史の更新へ挑戦しています。
私達が生きる現代は、情報が錯綜、改変、希薄化しており、時代が有する絶対的象徴は実態を伴わず、崩壊したまま、複数の要素が個人を形成し、それぞれの小さな物語が誕生しています。
渡邊は、このように文脈が空虚なものとなり、個人を形成するものも多様な様相を帯びている無秩序な時代の鏡として、絵画を作り上げています。
近代以前の絵画が、権威や時代の軌跡を閉じ込めたように、人間存在の本質が揺らぎつつある過渡期だからこそ、渡邊は自らの手で痕跡を刻み込み、画面の中に閉じ込めます。

「Reflection (Times)」紹介文より引用

個展タイトル「Reflection (Times)」の意味

「Reflection (Times)」には「時代や時間の反射」という意味合いが含まれている他に、ルシアン・フロイドさんの肖像画《Reflection(Self-Portrait)》からの引用もあるそうです。

ルシアン・フロイド《Reflection(Self-Portrait)》とは?
《Reflection, a self-portrait》
1985、ルシアン・フロイド(Gandalf’s Gallery|Flickr

《Reflection(Self-Portrait)》(1985)はルシアン・フロイドさんの自画像を描いた作品です。
厚塗りによる独特の生々しさ、人の存在の根底を抉るような表現が印象的です。
タイトルに「Reflection(反射)」という単語を入れていて、その時代に生きた人を映す鏡としての絵画の側面を意識させます。

作者のルシアン・フロイドさんは1922年に生まれ、2011年まで活躍したイギリスを代表する画家。
「対象物を長く見れば見るほど、それは抽象的になり、皮肉なことに、よりリアルになる」と話すように、飾らない表情に人間の根底が表れているようです。
そこにはナチス政権から逃れてきた実体験からくる人生の困難さが反映されているのかもしれません。

日々の生活に馴染み深い人物や風景を通して、絵画だからできる同時代に生きる人の視点や内面を描き出しているようです。

具象と曖昧な要素が混在する《Sirius》

展示会場でまず目が合うのが、会場奥にある目を閉じたポートレート作品《Sirius(シリウス)》です。

渡邊涼太さんのポートレートには描き・破壊しながら蓄積された絵の具がノイズのように置かれ、顔を覆い隠しています。

昨年展示していた同シリーズの作品と比べると、具象性が増しているのが分かります。

右下端に何かを描いた痕跡を感じつつも、背景は暗色で塗りつぶされているため、視線は目元と上下に広がるノイズに誘導されます。

ノイズ部分は描き・破壊して色が混ざりながら溜まっている様子が動的で生々しく、具象的に描かれた目元の静的な冷たさが強調されているようです。

動きのある痕跡に生々しさを感じるのは、私達が情報化社会の下でSNSや動画サイトなど、常に複数の情報にアクセスし刺激を得る暮らしに慣れているせいかもしれません。

情報収集はしやすい一方で、必要な情報を取捨選択する難しさがあり、結果的に求めているものが曖昧になっている現状をノイズ部分は表現しているようでもあります。

フィクションがノンフィクションになる時代のリアリティ

描き・破壊して色を蓄積していく表現を、今回初めて太陽と月の風景画に取り入れています。

太陽を描いた《Sun》月を描いた《Moon》が向かい合う形で展示され、日中と夜中を展示空間に生み出しているようです。

左|《Sun》
2024、渡邊涼太、acrylic, oil on canvas、H162 × W162 × D6 cm
右|《Moon》
2024、渡邊涼太、acrylic, oil on canvas、H194 × W336 × D6 cm

太陽と月は時代を超えても変わらず上空にあるものという意味で、絶対的にあるものの象徴として描かれているそうです。

太陽と月という、いつも自分たちが見ている絶対的なもの、強い象徴みたいなものをモチーフに描いています。
ある種、象徴性みたいなもの、今自分たちが見ているものは生きている中で改変可能だったり、編集されながら中身が無い空っぽなものになっているような気がしています。空っぽな象徴性の中で自分たちが生きている星で見ている景色として、太陽と月はいつも上に存在しています。それを基軸に置きつつ、いつも見ている人というポートレートで構成しています。

《Sun》に描かれた虹のような弧、水色の煙のようなものなどはすべて太陽の画像の一部だそうで、太陽を多角的、拡大縮小、色反転したものをデジタル上で組み合わせてできています。

対象の形を分解して複数の視点から再構成する手法をとる観点で、20世紀初頭に生まれた美術運動・キュビズムの印象を受けます。

ただ、キュビズムは見た目のリアルさからの脱却を試みたのに対し、渡邊涼太さんの作品は「フィクションがノンフィクションになる時代のリアリティ」を探っているようです。

今はテクノロジーの発展や多様な価値観が認められるようになった社会によって、現実と虚構の境界が曖昧になり、時にフィクションが現実そのものを形作る時代になってきています。

例えば、ディープフェイク(人工知能の一種である深層学習を使って、本物そっくりの偽の動画や画像を作る技術)などのフィクションが社会に影響を与えるようになっています。

その観点で観ると、中央の太陽を覆うように複数の太陽の姿が描かれることで、今後は絶対的な象徴の太陽に対してもフィクションが影響を与えうる可能性を示しているようです。

《Moon》は展示中で最も大きな作品で、渡邊涼太さんの過去作の中でも最大級の作品です。

太陽もそうですが、地球を照らす月は古今東西、普遍的で未知なところに神秘的な感情を抱かせます。

将来的にフィクションが影響を与えるかもしれない一方で、月は過去から今までに神話・伝説といった歴史、好奇心や畏怖といった感情など、人類の発展に大きな影響を与えてきました。

描き・破壊して存在が曖昧なものになりつつあっても、中央にある月に叩くように塗られた色の表現が醸し出す普遍的な姿が、時代を超えてあり続ける神秘性を生んでいるようです。

この普遍性も、フィクションがノンフィクションになる時代で変わらない部分があるというリアリティなのかもしれません。

自分らしさを見失いやすい時代を生きる人を描いた肖像画

最後の一角には、再び《Sirius》シリーズが展示されています。

目を開いた人物が描かれているように見えつつも、目が反復して描かれていたり、石膏像のような肌をしていたりと、その姿は原形から離れた「人のような何か」に映ります。

作品名であり、星の名前でもある「Sirius(シリウス)」は、太陽に次いで地球上から見える最も明るい恒星で、日本では冬の南の空に見られる星座・おおいぬ座に属します。

孤独の集合体である星座の中、群青の夜空で一番に輝くシリウスの光は、約8年かけて地球に届くのだそうです。

そうした長い時間感覚を持つことの必要性を、作品に描かれた原形から離れた姿に込めているのかもしれません。

私たちは比較的短期間で価値観が変化する時代を生きていて、その分、判断を求めれることが何度もあります。

作品の人物は求められ続ける判断に価値基準が揺らぎ、自分らしい姿を見失っているようにも見えます。

そんな無常の中でも、壊していきながら残るものをじっと観察し、考え続ける時間を持つことが、自分の本質という軸を練り上げることに繋がることを教えてくれているようです。

まとめ:一律の価値観がない時代を絵画に

渡邊涼太さんの作品は現代の個人の価値観が尊重され、一律の価値観では表せなくなった人間模様を、実験的な手法を試行しながら、絵画に落とし込もうとしている印象を強く受けました。

絵画は時代の映し鏡として、長年その時を生きた人が考えていたことが反映されています。

トレンドの萌芽が目まぐるしく発生する現代に生きる感覚を絵画にしているようで、時間が経過して改めて観たら、どんな感覚を得るのかも楽しみになる作品でした。

渡邊涼太「Reflection (Times)」展覧会情報

展覧会名「Reflection (Times)」
会期2024年 8月3日(土) – 8月25日(日)
開廊時間13:00 – 19:00
定休日月・火
サイトhttps://somgallery.com/exhibitions/reflection-(times)
観覧料無料
作家情報渡邊涼太さん|Instagram:@wata_ryota_
会場SOM GALLERY(Instagram:@som___gallery
東京都中央区日本橋横山町4-9 birth 5F
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よしてる
1993年生まれの会社員。東京を拠点に展覧会を巡りながら「アートの割り切れない楽しさ」をブログで探究してます。2021年から無理のない範囲でアート購入もスタート、コレクション数は25点ほど(2023年11月時点)。
アート数奇は月間1.2万PV(2023年10月時点)。
好きな動物はうずら。
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